【特別掲載】高卒都職員が540万道民のニューリーダーになるまで #鈴木直道 知事の“光と影”(後編)

新型コロナウイルス感染症対策で評価を高め、地元紙調査では仰天の「支持率88%」を叩きだした鈴木直道知事、39歳。間もなく不惑を迎える鈴木氏は今や将来の総理候補の1人にすら数えられているが、必ずしもその人生は順風満帆なものではなかった。

財界さっぽろ2020年5月号(4月15日発売)では、鈴木氏の代名詞である“ピンチをチャンスに”変えてきた、その足跡を特集「鈴木直道の“光と影”」として報じた。ここでは「財界さっぽろオンライン」リニューアル記念として、同特集から5本の記事を前後編に分けて再編集。今回は後編となる。

2011年夕張市長選当選後、本誌のインタビューに答える鈴木氏 ©財界さっぽろ

夕張市長(2011~19)2期8年の奮闘

「“課題先進地域”“モデル地区”として先手を打って政府に対応を求めるのが鈴木知事のスタイル。法的根拠のない緊急事態宣言をいち早く出し、翌日は首相官邸で安倍晋三総理に北海道の窮状を訴えた」

ある政府関係者はそう語る。鈴木氏がこうした政治手法を培ったのは、夕張市長時代だった。

就任後、すぐに取りかかったのは市役所改革だ。いきなり職員の6割を異動させた。これには役所内から不満が噴出したが「前例主義、諦めムードから脱却し、新たな発想を生むためには不可欠」だとして大規模な人事異動を実行した。

さらに副市長職も廃止。これに相当する職員を道と東京都から派遣してもらい、夕張の支出をゼロに抑えながら、熱望していた“よそ者”を迎え入れることができた。

鈴木は夕張市長時代、本誌のインタビューで次のように語っていた。

「260人いた職員は半分以下の約100人まで減り、18人いた市議も9人に半減させ、報酬も40%カットした。部長、次長、課長など、管理職と呼ばれる人が50数人いたのが、たったの3人に。市役所内は係長以下ばかりになり、管理職経験のない職員が『明日から課長をやれ』といった具合で、給料は安いのに仕事と責任はケタ違いに増えた。そんな中で職員が本当に頑張ってくれているんです」

自身の給与も70%カット。退職金なし、交際費もなし。月額25万9000円の給与は全国の市長の中で最も安い金額だった。

市民との直接対話も制度化。「市長と話そう会」を立ち上げ、5人以上で集まった市民に要請されれば、365日24時間、直接出向いて話を聞きに行く。

「市民が抱く疑問や不満に対し、現在どうなっているのか、改善の可能性はあるのか、不可能であるならそれはなぜなのか、どうしてこういう問題が起こったのか……といったことをきちんと説明するのは大切なことだし、私の責任でもある。いくら感情的になっている人でも、たいてい1時間もすれば落ち着き、3時間も話せばお互い理解し合えるところは理解するし、できないことでも、それならばどうすればいいのかと発展的な話ができるものだ」

鈴木氏は自書「夕張再生市長」の中で、そうつづっている。

「コンパクトシティ計画」の具体化は、“課題先進地域”を全面に打ち出し、国や企業から支援を引き出す“鈴木流”の原点とも言える。人口減少を前提として、公営住宅を始め商業施設、医療施設を市の中心部に移そうとする計画は、合理的なようで、住民感情などもあり実現は難しい。

まず公営住宅の53%が集中し、将来の都市拠点となる清水沢地区で、住宅の建て替えによる住環境の改善を始めた。

バリアフリー型の無落雪住宅を建設。家の前に庭をつくり、見守り機能も持たせた。この住宅は優れた公的賃貸住宅を表彰する「北の地域住宅賞」で、最高賞の知事賞に選ばれた。

「今年の冬はこれまでの人生でいちばん暖かかった」

古い住宅からこの市営住宅に移り住んだ90代の男性が、鈴木氏にそう語りかけたという。フットワークの軽さを象徴したのが、夕張メロンの輸出促進だ。13年7月末から8月にかけて、鈴木氏は夕張市農協から無償提供を受けたメロン50個を手にカタールを訪れた。

さかのぼること12年1月、東日本大震災で被災した東北3県の子どもたち700人が、夕張を訪れた。これはカタールが被災地に寄付した1億ドルをもとに創設された「カタールフレンド基金」が用いられて実現したことだった。

このときできた縁を生かし、将来的な夕張メロンの輸出につながることも期待してカタールに渡った。

現地の王族たちに市長自ら特産物をアピールする。その姿は日本でも多く報じられた。それを見たアメリカの食品企業の関係者が夕張を訪れ、メロンの輸出をしたいと申し出てきた。

そして14年6月、夕張メロン50年以上の歴史で初めて、本格的な輸出がスタートした。

カタールへの夕張メロン売り込みで高橋はるみ氏(中央)にメロンを手渡す鈴木氏(左)。右はJA夕張市組合長の加藤春之氏(2013年5月) ©財界さっぽろ

企業版ふるさと納税でトップ営業

鈴木氏は市民との対話とともに、実務的な課題では官房長官の菅義偉や総務大臣の高市早苗を始め、中央の政治家、官僚に談判し、成果をもぎ取ってきた。

その最たるものが、113億円の新規事業を盛り込んだ財政再生計画の抜本見直しだった。

「抜本見直しは市役所内でさえも不可能とみられていました。しかし、鈴木さんは政権とのパイプを背景に、有識者、さらにはマスコミまで巻き込んで、17年に実現しました。そのときは厳しい夕張の現状をこれでもかとアピールして、抜本見直しを国から引き出していました」(市役所関係者)

これにより、拠点複合施設の整備、認定こども園の開設といった事業が新たに進められることとなった。

鈴木氏が築いてきた人脈は企業版ふるさと納税にも生かされた。ニトリホールディングス、夕張に生薬畑を持つ漢方薬大手のツムラ、菓子製造のホリ、共立測量設計、学習塾道内大手の練成会。この5社による寄付額は約8億6700万円にものぼる。いずれも“トップ営業”による成果だ。

高齢化率全国一、唯一の財政再生団体――こうした負のブランドを「課題先進地域」「モデル地区」というように、見せ方を変換することで、国の支援を勝ち取る。

JR石勝線夕張市線の「攻めの廃線」も、JR北海道が単独維持困難線区を発表する前に、先手を打ったものだ。廃線にいち早く同意することで、7億5000万円の支援を取りつけた。夕張を“モデル地区”として、他の地区での廃線同意を引き寄せたいJRの思惑をくすぐった。

大胆なタイプに見える鈴木氏だが、ある道庁関係者は「実際の姿は石橋をたたいて渡るようなタイプだと思います。人間関係も同じで、本心を明かしている人は、かなり限定しているでしょう」と話す。

実際、再生計画の抜本見直しも、攻めの廃線も、サプライズだと感じた発表の数年前から練りに練ったものだった。

今回の新型コロナへの対応をめぐっても「かなり細かなところまで鈴木さん本人が国と相談しながらおこなっている」(道庁関係者)という。

一方で、市長時代に達成できなかったこともある。例えば鉄道と一般道路の両方を走れる「DMV」の導入だ。全国初の営業運転を目指し、試験走行までこぎ着けたが、その後はトーンダウン。JR夕張支線が廃止となり、構想は立ち消えとなった。

石炭に変わる新たなエネルギー事業として大きく期待されていた天然ガスの一種である「CBM」(炭層メタン)の活用事業も、断念するに至った。

かつて鈴木氏は、夕張にはCBMというメタンガスが77億立方㍍ほどあり、国内生産量の2年分が眠っていると語っていた。

一般家庭はもとより、企業や農家など、街全体で活用する“エネルギーの地産地消”を提唱し、17年9月には国内初の生産試験をスタート。だが、実際のガスの生産量は想定の3分の1以下だった。

夕張はあくまで財政再生団体。補助金や企業版ふるさと納税で得た財源で進めていたCBMの事業化だったが、これ以上のコストはかけられないと判断。18年に試験現場は埋め戻された。

昨年2月28日、鈴木氏は夕張市長を退任した。

最後の退庁時、鈴木氏は涙ぐみながら「私の政治の原点は夕張。みなさんが私を育ててくださいました」と、黄色いハンカチを手にする市民に別れの言葉を送った。

黄色いハンカチを手にする市民に送られて庁舎を去る鈴木氏(2019年2月) ©財界さっぽろ

針のむしろでも覚悟の知事選出馬

「お金を失うことは小さく失うことだ。名誉を失うことは大きく失うことだ。しかし、勇気を失うことはすべてを失うことだ」

鈴木氏にとっての座右の銘だ。知事選出馬の会見でもこの言葉を口にし、決意と覚悟をにじませた。

実は会見の前日まで、自民党道連は候補者選考をめぐり、揉めにもめていた。

18年12月15日、知事だった高橋はるみ氏は5選不出馬を表明した。かねてから自民党道連会長の吉川貴盛氏、会長代行の長谷川岳氏は、鈴木氏を知事選候補に推していた。

その根拠が党本部が実施した世論調査。鈴木氏は知名度があり、支持率も高い。“勝てる候補”と踏んだ。

理由はもう1つある。

鈴木氏が官房長官・菅義偉氏の意中の候補とされていたからだ。菅氏と鈴木氏は法政大学の先輩・後輩の関係。菅氏は市長時代から鈴木氏を何かとかわいがっていた。

吉川氏は菅氏のご意向を過剰なまでに“忖度”したとみられる。そのため、自民の候補者選考は“鈴木ありき”で進められていたと言っても過言ではない。

吉川貴盛氏(右)の政経セミナーに出席した官房長官の菅義偉氏(2016年10月) ©財界さっぽろ

ところが、そうは問屋が卸さない。

鈴木氏の擁立に道内の首長たちが反発した。吉川氏は道市長会や道町村会のトップに理解を求めたが、話し合いは平行線をたどった。

これまでの過程で、ないがしろにされていた道議たちも動き出す。吉川氏宛に道議の意見を聞く場を求める要望書が提出された。

当時、鈴木氏以外に候補にあがっていたのが、国土交通省北海道局長の和泉晶裕氏だった。

長谷川氏は道議たちを前に「和泉氏に意志を確認したが、知事選出馬の可能性は、100%ない」と断言した。

道議たちは、和泉氏は環境が整えば出馬の可能性があると踏んでいたため、この発言は火に油を注いだ格好に。吉川、長谷川両氏と多くの道議との亀裂が深まった。

道内選出の自民国会議員のほとんども、和泉氏擁立で動き、そこに経済界も加わった。

吉川氏は1月27日の道連役員会で、鈴木氏への一本化を図るも断念。鈴木、和泉両氏への意向調査が決まった。

和泉氏が2月1日に退官する噂も出始め、吉川氏は焦ったに違いない。このとき鈴木氏も、針のむしろに座る状態になった。

公明党北海道本部に推薦を要請し同本部を後にする鈴木氏(2019年2月) ©財界さっぽろ

菅氏が創価学会に支援を依頼?

ここで、業を煮やした菅氏が動き出す。1月29日、創価学会の選挙担当副会長が極秘裏に北海道を訪れ、道内の公明党幹部に鈴木氏の支援方針を伝えた。

「こうした創価学会の動きは菅の意を酌んでのものだと言われている」(政界関係者)

時をあわせるように、鈴木氏は1月29日、知事選出馬の意向を固め、2月1日に記者会見を開くと突如表明した。

意向調査前に不意を突かれた和泉派の面々。がく然としたことは想像に難くない。

和泉氏は結局、1月31日になって支援メンバーに知事選不出馬の意向を伝えた。

鈴木氏は会見後、すぐさま公明党北海道本部に向かった。推薦を要請し、同党はいち早く決定した。こうした公明の電光石火の対応は、異例中の異例だった。

知事選は鈴木氏と、野党系が推す元衆院議員・石川知裕氏の一騎打ちとなった。

結果は鈴木氏が162万票あまりを獲得。石川氏に約66万票の差をつけて初当選を飾った。

事務引き継ぎを控えて笑顔の高橋はるみ氏(右)と鈴木氏(2019年4月) ©財界さっぽろ

初登庁の4月23日、息子の年齢ほどの新たな“あるじ”を、道職員たちが1階ロビーで出迎えた。

花束を受け取った鈴木氏は、エレベータを使用せず、階段をさっそうと駆け上がっていった。

道幹部は「さすが、やっぱり若いねぇ」と苦笑いを浮かべながら、全国最年少知事の背中に視線を送っていた。

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