【さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー】第15回・第2のススキノと呼ばれた琴似本通界わい【中】

 月刊財界さっぽろ2020年12月号より、新連載「さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー」が始まりました。

 筆者は札幌市の出版社「亜璃西社」社長でエッセイストの和田由美さんです。和田さんはこれまで「和田由美の札幌この味が好きッ!」といったグルメガイドブックや「さっぽろ狸小路グラフィティー」「ほっかいどう映画館グラフィティー」といった、新聞・雑誌等のエッセイをまとめた書籍を多数刊行されています。

 今回の連載では、札幌市内の「通り(ストリート)」や「区画」「商店街」「エリア」などの「マチナカ」(賑わいのある場所)を、毎月1カ所ピックアップ。その場所について、名前の由来や繁華街となっていく上での経緯、さらに現在に至るまでの変遷といった歴史と記憶を綴ります。

 今回は第15回「第2のススキノと呼ばれた琴似本通界わい(中)」です。

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 琴似エリアには、JR琴似駅と札幌市営地下鉄琴似駅という2つの駅があるけれど、800メートルほど離れていて直結はしていない。この2つを結び、古くからメインストリートとして栄えたのが、通称・琴似本通(琴似栄町通)。通り沿いには、花屋や市場、飲食店、大きな商業施設などが建ち並び、JR駅前から山の手方面へ向かって歩くだけでも楽しい。

 時間があれば、つい立ち寄ってしまうのが、通り沿いにある1875年(明治8)創建の「琴似神社」。広い境内には、樹齢140年といわれるイチョウの大木をはじめ、さまざまな木々が生い茂り、遠くから眺めているだけで静謐な空気が伝わってくる。最初の鳥居を抜けると、まずはあ・うんの狛犬がお出迎え。次の鳥居を抜けると、ようやく奥の方にクラシックな神明造りの御社殿、左手に社務所が見えてくる。広さは実に3500坪もあるそうで、高層マンションも建ち並ぶ賑やかな琴似通に面しながら、ここだけは別世界のようにくつろげる。

大木に囲まれた琴似神社境内の参道 ©財界さっぽろ

 そんな琴似神社の斜め向かい、北5条手稲通との交差点北角に、かつて1946年(昭21)創業の老舗「くすみ書房」(琴似2条7丁目)があった。99年(平成11)に後を継いだのが、当時47歳の久住久晴さん。三角山放送局「読書でラララ」(99〜2012年)でパーソナリティも務め、さまざまな文化イベントを仕掛けるなど、西区マチ文化の担い手でもあった。

 さらに2003年、良書なのに売れ行きの良くない作品ばかりを集めた「なぜだ!? 売れない文庫フェア」を試みて話題を呼ぶ。久住さんは当初、この企画を“無印フェア”とした。しかし、三角山放送局のオーナーで、西高の同級生でもあった木原くみこさんから、「無印ではわかりづらいから、売れない本フェアにするといい」とアドバイスされ、タイトルを変更して成功を収めたのである。

 続く翌年には、本屋だけで選書を行う「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」と題した斬新な企画を世に出す。以来、「高校生はこれを読め!」「小学生はこれを読め!」「大学生はこれを読め!」と続き、このシリーズは道内各地の書店や他県にも広がりをみせた。もう一つ驚かされたのは2005年、入居する6階建てビル地下に珈琲と古本のブックカフェ「ソクラテスのカフェ」をオープンしたこと。入ってすぐの壁に大きな本棚が並び、まるで書斎のような居心地の良い空間で、コーヒーもケーキも美味しかった。

 ここで久住さんは、当時は北大教授だった歴史学者の中島岳志さん(現・東工大教授)らを招き、講演会や朗読会などさまざまな催しを行う。やがて中島さんの発案でシリーズ「大学カフェ」が始まり、毎回、北大の著名な先生がゲスト出演して講義を開催。それらが、『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう―カフェで語る日本の未来』(2010年)と『やっぱり、北大の先生に聞いてみよう』(2011年、共に北海道新聞社)という2冊の書物になっているのだから凄い。

 また、中島さんは、くすみ書房を通じて多くの人に出会ったそうで、その一人が前出の木原さん。彼女からパーソナリティの依頼を受け、ラジオ番組「中島岳志のフライデースピーカー」がスタート。その中で隣町にある発寒商店街のシャッター通り問題を取り上げ、活性化事業としてそこにカフェをオープン。わが社の『ほっかいどうお菓子グラフィティー』著者でまち文化研究所を主宰する塚田敏信さんも参加していて、そうした人と人をつなげていく久住さんの行動力に、私はいつも感心させられていた。

 思い起こせば、久住さんはいつも笑顔で優しかった。北海道書店商業組合理事長も務めていたので、組合の新年会でよくお会いした。その度に弱小出版社を営む私を心配して、「お宅の本は、装丁は良いけれど売れる本が少ない。ヒット作を出さなくちゃ」と企画について色々とアドバイスして下さった。

 そんな久住さんが、店舗を琴似から大谷地へ移転したのは2009年のこと。翌年には、子どもの読書活動の実践を認められ、「文部科学大臣賞」を受賞された。しかし、5年後には大谷地店を閉じ、2017年に肺がんのため逝去。享年66。

 生き急ぐように、多くの人を魅了しながら新しい試みに挑戦し、志半ばで世を去った久住さん。亡くなった翌年に発行された遺稿集『奇跡の本屋をつくりたい〜くすみ書房のオヤジが残したもの』(ミシマ社)には、理想の本屋に対する思いがつぶさに記録されている。その一部を引用させてもらうと――

お金がなくてもつくれる本屋

だから

借金の無い経営

きちんと休みのとれる本屋

知的好奇心が満たされる本屋

文化を発信できる本屋

置きたい本だけ

置いている本屋

何ものにも束縛されない本屋を目指します。(以下略)

 この一文を目にした時、弱小出版社を営む私としては、涙が出るほど共感させられた。と同時に、理想の出版社を目指す決意を新たにさせられたものだ。