【さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー】第10回・南3条通りは音楽喫茶の宝庫だった(下)

 月刊財界さっぽろ2020年12月号より、新連載「さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー」が始まりました。

 筆者は札幌市の出版社「亜璃西社」社長でエッセイストの和田由美さん(写真)です。和田さんはこれまで「和田由美の札幌この味が好きッ!」といったグルメガイドブックや「さっぽろ狸小路グラフィティー」「ほっかいどう映画館グラフィティー」といった、新聞・雑誌等のエッセイをまとめた書籍を多数刊行されています。

 今回の連載では、札幌市内の「通り(ストリート)」や「区画」「商店街」「エリア」などの「マチナカ」(賑わいのある場所)を、毎月1カ所ピックアップ。その場所について、名前の由来や繁華街となっていく上での経緯、さらに現在に至るまでの変遷といった歴史と記憶を綴ります。

 今回は第10回「南3条通りは音楽喫茶の宝庫だった(下)」です。

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 古い話だけれど、南3条通り5丁目の南パークビル6階に、ライブハウス「ベッシー」がオープンしたのは1983年のこと。当時、北海学園大学裏手の住宅街でブルース喫茶「神経質な鶏」(84年閉店)を営む梶原信幸さんが、満を持して開いた本格的ライブハウスである。

 2年後には、5階に同名のジャズバーをオープン。当時、取材した私は、「バックに流れるオールド・タイム・ジャズを聴きながら酒を飲めば、まるで村上春樹の小説の世界に巻き込まれた気分。こんな店、好きだなあ」と記したもの。

 村上春樹さんが、札幌も舞台となった小説『羊をめぐる冒険』(82年)を発表したばかりの頃だから、時代より早かった店と言えるだろう。が、両店とも立ち退きで86年に現在の晴ればれビル(南4西6)地下へ移転。「ベッシーホール」は、約250人収容の多目的ホールとなり、今も健在。オーナーは変わったが、音楽や演劇など各ジャンルで活躍する若い人たちの発表の場であり続ける。

 ところで、前号で紹介した中島洋さんは、86年に南3条通り6丁目の長栄ビル2階に、自主上映スペース「イメージ・ガレリオ」を開く。88年には居酒屋「エルフィンランド」を3階に移転し、4階にオフィスとパーティルームを併設。しかも同じビル内には、オヨヨ通り6丁目から移転した平田修二さんが事務局長の「札幌演劇鑑賞会」(現・NPO法人演劇鑑賞会北座)もあった。

 92年には、長栄ビル2階にイメージ・ガレリオを前身とした“日本一小さい”が謳い文句の「シアターキノ」(席数29)をオープン。6年後、南3条グランドビル2階に移転し、2館体制となって来年30周年を迎える。

 さらに特筆すべきは、86年に南3条通り8丁目の近くに、演劇専門の「札幌本多小劇場」(南2西8アンドレアビル)がオープンしたこと。札幌出身で本多劇場グループの総帥である本多一夫が建てたもので、席数は250。使い勝手の良い劇場と好評だったが、93年にはオーナーが変わり、名称も「ルネッサンス・マリア・テアトロ」となった。その後、森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真による演劇ユニット「TEAM NACS」をはじめ、「劇団イナダ組」や鈴井貴之主宰の劇団「OOPARTS」などの公演やライブに使われたが、バブル崩壊後の2000年に幕を閉じた。

今も若者文化の発信地として活用される、木造2階建ての「KAKUイマジネーション」(南3西7) ©財界さっぽろ

 さて、南3条通りに戻ると、7丁目に下見板張りの外壁やレンガの集合煙突などがクラシックな木造2階建て「KAKUイマジネーション」がある。戦前は専門学校の校舎で、94年当時はその2階が、鈴井貴之さんが主宰する劇団の稽古場だった。1階には、今を時めくオフィスキュー代表の伊藤亜由美さんが、初めて開いた飲食店のメキシコ酒場「モッキル・デ・キキルコ」があり、97年には2軒目となるベトナム料理店「フーコック」を2階にオープン。札幌にベトナム料理を知らしめた店として、記憶に値する。

 そして現在、この2階には詩人、谷川俊太郎さんの私設記念館ともいえる「俊カフェ」がある。幼い頃から谷川さんのファンだった編集者の古川奈央さんが、2017年にオープン。詩集や絵本など多数そろえ、各種イベントやライブも開催、希少な文化スペースとなっている。

 南3条通りを東へ向かって創成川近くまで歩くと、西1丁目には築90年を超える和田ビル(家主は私ではありません、為念)がある。かつて2階に鈴木葉子さん主宰の「ギャラリーユリイカ」があり、ジャンルや概念に捉われず、新人アーティストの発掘に力を入れていたが、2008年、27年の歴史にピリオドを打った。

 私はここで、酒庵「きらく」の亡き店主・菅原澄子さんの朗読会をプロデュースさせて貰った。確か野坂昭如さん原作の絵本『マッチ売りの少女』も、ここだったなあ。今、この3階で存在感を示すのは「ブラウンブックス カフェ」。本とコーヒーをこよなく愛する星川洋子さんが12年から営み、コーヒーに関する豆本も発行するなど、喫茶店文化への想いが伝わってくる。

 そして、忘れてならないのが、このビル1階に“南3条通りの顔”ともいえるビアホール「米風亭」があること。かつてカントリーウエスタンが聴ける音楽喫茶「楽屋」(南1西15)と「楽屋PARTⅡ」(南2西5)を経営し、時代をリードする飲食店を幾つも手掛けてきた藤巻正紀さんが営む。今は“油そば”で知られるが、音楽関係者も通う素敵な店だ。

 とまあ、南3条通りを駆け足で通り抜けてみたが、思い出されるのは、狸小路7丁目で中古レコード店「フレッシュ・エアー」を30年近く営む店主が、かつて話してくれた言葉である。「南3条通りは音楽喫茶の宝庫で、若い頃は憧れの場所。その近くに店を出したかったのです」。

 その昔、「♪南三条泣きながら走った」と唄ったのは中島みゆきだが、今も南3条通りは古き良き時代への憧れと共に、「新しい文化を生み出す発信地であり続ける」と断言したい。