【東日本大震災10年―5】なるほど!震災“裏話”
東日本大震災から10年、あのとき北海道には何が起き、どう対応したのか。10年前の2011年5月号で掲載した震災特集から記事をダイジェスト掲載。
連続掲載最終日の本日は、震災の発生で初めて気付いたあんなことやこんなこと、そして「なるほど」と思わされた“裏話”を紹介する。以下、内容はすべて2011年4月時点。
災害時の心強い味方 19年間で2万6000台減った公衆電話
東日本大震災直後、携帯電話がつながらなくなり、公衆電話に駆け込んだ人も多いのではないだろうか。だが、災害時に強い味方となる道内の公衆電話は、ピーク時に比べて2万6000台も減った。
大震災が発生した3月11日の帰宅ラッシュ時、東京都内の公衆電話前に長い行列ができた。
公衆電話は停電でも通話可能。消防、警察などの公的機関の電話回線と同じく、災害時優先電話に指定されている。そのため通信規制の対象にならず、携帯電話や固定電話よりつながりやすいのだ。
NTT東日本は同日夕方から随時、管轄する17の都道県ですべての公衆電話の利用を無料にした。現在でも被災地の岩手、宮城、福島の各県では無料通話が可能だ。
さらに、避難所など777カ所に2333台の特設公衆電話を設置。地震、津波から着の身着のまま逃げた被災者たちをサポートする、重要な役割を果たしている。
そんな公衆電話は、ピーク時の91年3月末には、道内に3万9000台あった。しかし、携帯電話の猛烈な普及とともに台数は右肩下がり。2010年3月末時点では1万3000台まで減少した。
NTT東日本―北海道の佐藤治公衆電話センタ長は、「屋外の連絡手段として、公衆電話は何物にも代えがたい。台数は減っても、決してなくなることはありません」と話す。
総務省は、社会生活を送る上で、屋外の通信手段確保のため、省令で設置基準を設けている。市街地では500メートル四方、それ以外は1キロ四方に1台を設置、第1種公衆電話と呼ばれる。 この区域は「メッシュ」と呼ばれ、道内には2万5170区域ある。
ただ、全区域に設置する必要はない。人口密度などを考慮し、総務省が各都道府県ごとにカバー率を算出。北海道は15・8%で、全国一高い東京は85・9%となる。この数値とメッシュを掛け合わせた数が、第1種として最低限必要な台数となる。北海道は3977台だが、それより多い4499台が設置されている。
それ以外は第2種公衆電話に分類され、電話会社が独自の経営判断で、利用者が多く見込まれる場所に設置している。とはいえ、1種、2種どちらの公衆電話も利用客が伸び悩み、採算がとれていないのが現状だという。
佐藤氏は「特設公衆電話の設置、通話の無料化などを迅速に実施し、台数が減った部分をカバーしていきたい」と語っている。
耐震不足の可能性大 “魔の10年”に建てられた木造住宅
大地震が起きると必ず住宅の耐震問題が話題になる。北海道では、ある期間に建てられた家屋が揺れに弱くなっている可能性があるという。背景には雪国の住宅には欠かせない建築資材の存在がある。
もともと北海道の住宅は、本州と比べて地震に強いといわれる。それには大きく2つの理由がある。
1つは屋根に板金(トタン)を使用していること。本州で主流の瓦より軽く、家屋に負担がかかりにくい。
2つ目が寒冷地のため住宅の基礎が強固になっている。道内では布基礎という手法がとられ、地中で基礎が一体化。そのため、家が傾く不等沈下が起きにくい。
また、凍結深度を考慮して、地中深くに基礎を打っている。土が凍って膨張すると基礎を動かしてしまう危険性があるためだ。
住宅の耐震性は、1981年の改正建築基準法施行を境に大幅に強化された。一般的にそれ以前の建築住宅は耐震性が低いとされる。
地震防災学に詳しい岡田成幸北大大学院工学研究院教授は、「北海道では、オイルショック時代の住宅の耐震性が低くなっている可能性があります。その要因は、道内の住宅建設に欠かせない断熱材です」と指摘する。
73年に第1次オイルショックが起き灯油価格が高騰した。少ない燃料で効率的に家を温めようと、住宅の断熱化が加速。断熱材の厚さが50ミリから100ミリとなり、室内空気を逃がさない建築構造に変わった。
だが、断熱材を厚くしたことで壁面の通気層がなくなった。地面や室内からの水蒸気が断熱材に入り込み、結露がたまりやすくなった。
「家の柱などが結露による腐食で、もろくなっていることも考えられます。外観からはまったくわからないので、耐震診断士などの専門家にみてもらう必要があります」(岡田教授)
この年代に建てられ現存する住宅は、夕張市、赤平市、三笠市など、地震が少ない内陸部に多いという。ただ、現在の住宅は防湿対策が施されているので、そのような心配は必要ない。
岡田教授は「81年以前に建てられた住宅は、1度、耐震診断を受けることをお勧めします」と語っている。
日用品の意外な使い方 災害時に役立つあれこれ
大災害に見舞われると、ライフラインが寸断され、避難所生活を余儀なくされる。そんな災害時、いざという時に役立つ身の回りの便利グッズを紹介する。
最初にあげるのは、どの家庭にも必ずあるキッチン用のラップ。これは、さまざまな状況で活用できる万能品といえる。
災害で水道管が破裂すれば、生きていく上で欠かせない水の確保が困難を極める。今回の東日本大震災でも、全国各地の自治体が給水車を被災地に派遣した。給水所の前には長い行列ができた。
たとえば、限りある水を有効に使うため、食べ物を盛る前に食器をラップで包む。そうすれば食器を洗わずに済む。
水がなくて手が洗えないという時は、ウエットティッシュがあれば便利。家庭用のゴミ袋も、首や手の部分に切り込みを入れれば、簡易的な防寒具や雨具として使える。
ただ、ラップやゴミ袋は、普段の生活で持ち歩くのはなかなか難しい。
岡田成幸北大大学院工学研究院教授は「災害にあったときは、自分の居場所を周囲に知らせることが一番大切です。そういう意味で、ホイッスル(笛)は大切な防災グッズの1つです」と指摘する。
地震による家屋の倒壊でがれきに埋もれた際、ケガや体力の消耗でなかなか大きな声を出せない。そんなとき笛を吹いて、駆けつけた救助隊に知らせることができる。携帯電話などにも取り付けられ、常に身につけることもできる。
「テント、寝袋、ランタン、ヘッドライトなどのアウトドア用品は、ほとんどが防災用品に変わります。キャンプ用品をそろえるといいかもしれません」と(岡田教授)
防災グッズではないが、家族と一緒に撮った写真をバッグなどに入れておくこともオススメ。携帯電話などの通信手段が遮断され家族と連絡が取れない場合、写真を避難所の被災者などに見せながら探すことができる。
また、家族や知人の住所や電話番号を記したアドレス帳なども用意しておいた方がいい。
「備えあれば憂いなし」という言葉がある。明日からさっそく実践してみてはどうだろうか。
“火事場泥棒”は許さない “ウソ募金”に要注意
震災
に便乗した悪質な振り込め詐欺が増える傾向にある。犯人が主に狙うのは義援金。その手口はさまざまだ。
「阪神淡路大震災、新潟中越沖地震など、災害が起きるたびに発生する。今回の東日本大震災でも同様のことが起こるだろう」と北海道警察刑事は話す。
道警本部では東日本大震災に便乗した“義援金詐欺”に警戒するよう呼びかけている。この悪質な振り込め詐欺の手口はさまざまだ。
「地震で携帯電話が壊れて番号が変わった」と被災地に居住する息子をかたり、オレオレ詐欺と同じ言い回しで現金の振り込みを求めてくる。また、実在する募金団体を装い、電話で義援金を募ってくる者もいる。
企業や官庁の名前を使うパターンもある。道内では「金融庁の依頼をうけた業者」を名乗る不審電話が多いという。
FAXで「災害支援基金への寄付をお願いします」という文書を送りつけ、個人名の講座に振り込ませようとする手口もある。インターネットにも架空の募金サイトが出ているという。
ただ、「(犯罪の)立証が非常に難しい。集められた義援金がどこに使われているのか、個人だと特定はほとんどできない。本当に被災地の自治体などに寄付している可能性もある。善意と悪意の判断が難しい」と道警では頭を抱える。
しかし、通常であれば直接電話やFAXで義援金を募集してくるのは不自然だ。道警本部は「少しでも怪しいと思ったら、通報してほしい」とコメントしている。
また、募金団体に義援金を振り込む際には、口座が正しいものかインターネットで検索し確認をするなどの自己防衛策が必要だ。日本赤十字社、「赤い羽根」の中央共同募金会などには専用の特設口座がある。
東京都立川市では街頭募金を装った詐欺の疑いで男が逮捕されている。大胆にも募金箱から現金を取り出して、自動販売機でジュースを買おうとしていた。不審に思った男性会社員が男を交番に連れて行き、“ウソ募金”が明らかになった。
街頭募金も団体の有無や連絡先を、しっかりと確認しておくことが重要だ。
日本赤十字社は街頭募金をする側にも、事前に必ず管轄の警察署へ申請をするように呼びかけている。
詐欺以外にも全国各地でコンビニやパチンコ店に設置されている募金箱を狙った窃盗事件が相次いでいる。
善意を踏みにじる犯罪が多発する事態に、警察関係者も「こんなときまで…。情けない」とため息を漏らしていた。
道新記者も札幌に マスコミが東京から“一時避難”
西へ西へ――。震災発生後、福島第1原発の危機的な状況が報じられると首都圏に動揺が走り、関西方面への大移動が始まった。「冷静な客観報道」を旨とする新聞・テレビの中にも一部では動揺が…
放射線の恐怖に真っ先に反応したのが、外国人ビジネスマンたち。大使館を通じ邦人に対し、首都圏からの避難を呼びかけた大使館もあった。関西圏のホテルの中には、東京を離れてきた外国人たちであふれかえったところもあったという。「拠点機能を一時的に神戸に移した外資系企業もありました」(IT業界の社長)
一般家庭の間でも危機感が強まった。3月17日に来札した政治評論家・三宅久之氏は講演で「つい先日、東京から名古屋に行った。新幹線はベビーカーを押す若いお母さんたちでいっぱいでしたよ」と浮き足立つ都民の様子を語った。
原発事故が次第に深刻さを増していった中、テレビや新聞は連日、事故の現状を報道。特に放射性物質については専門家を呼び、図やグラフなどを駆使してわかりやすく説明した。パニックの引き金を引かないよう慎重だったのだろう。
ところが、一部のメディアでは社内で混乱が生じていたようだ。週刊新潮(4月7日号)はワイド特集の中で〈「日テレ」デスク逃亡!「共同」退避命令!メディアに吹いた憶病風〉と報じている。
パニックは生じていなかったが、「東京の記者を一時、地元に引き上げさせたり、社員の家族が退避するための資金を援助する地方紙はあった。取材体制を残さなければならないので、どういう基準かわからないが、女性や若い男性記者を中心に東京を離れたそうです」(地方紙の中堅記者)
本道のガリバー新聞社・道新でも、震災発生1週間後ぐらいから複数名の記者が東京を離れた。道新関係者は「3月17日前後だと思いますが、札幌行きや自宅待機を勧められた記者がいましたね。一時的な避難措置の意味合いもあると思いました」と話す。
ただ、道新の「札幌行き」については必ずしも一時避難とは言い切れない。
道新経営企画室は「大震災の特別紙面制作と統一地方選のための臨時措置として、東京支社編集局などから応援記者を本社編集局に配置しています。東京からの応援はピーク時でも10人未満です。順次、縮小しており、4月中旬をめどに当該措置を解除する予定です」と説明する。