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今振り返る、私の思い出紀行 第十四回【池脇会計事務所代表 池脇竜太氏】

父昭二(左)とマレーシアのシパダン島で撮影したツーショット

父と2週間過ごしたマレーシア・シパダン島での夏

 私は16歳の時から父(故・昭二氏、先代所長)が趣味としていた水中ダイビングを始めています。また、それ以前の中学生以降は毎夏、父と海で過ごすのが恒例となっており、これまでに沖縄をはじめ、イタリア・シチリア島、サイパン、パラオ、モルジブなど、世界各地のダイビングスポットを訪れています。

 父も私も、最も気に入っていたのが世界三大ダイビングスポットの一つとされるマレーシアのシパダン島です。2003年の夏、私が大学を卒業し、仕事に必要な資格の取得や就職の準備を始めた頃に、二人だけで訪れました。父は50代のちょうど働き盛りの時だったと思います。

 ここはインドネシアと領土を分けているボルネオ島の北東部にあるサンゴ礁で、徒歩30分ほどで1周できる小さな島です。行きは成田からコタキナバルへ。着後、国内空路を利用して、車やボートなどを乗り継ぎ、着くまでに10時間以上はかかりました。〝ダイビングの秘境〟と言われるだけあって、まさに神秘的でした。

 日本を出発前、ここは身代金目的の海賊も出没する可能性もあるとのことで、外務省や現地の公的機関から注意喚起が発せられていました。なので、ドキドキしながら行ったことを覚えています。

 シパダン島は、海の美しさはもちろん、大群で泳ぐバラクーダ(カマスの一種)やウミガメ、サメなど海洋生物が豊富で、水中撮影を主な目的としていた父と私にとっては、新しい発見の連続でした。この時は朝6時過ぎから夕方まで1日3~4回、滞在中30回はダイビングを楽しみました。

 ダイビングは背負うボンベの空気消費量や海流の変化など注意すべきことが多々あるのですが、現地には専門のインストラクターもいて、海の状況や装備、コンディションの調整など的確なアドバイスをしてくれました。また、現地の人ともリラックスした交流の時間もあり、宿泊や食事など諸々の面倒を見てくれたハウスキーパーさんの結婚式にも招待されました。

 私は中学・高校と寮生活で、大学と最初の就職先は東京でしたから、小学校卒業後14年間は家族と離れた生活でした。なので、2週間もの長い時間を父と2人だけで過ごすのはこのシパダン島の夏が初めてでした。

 いま振り返ると、何年かこうした夏を過ごすうちに、父は私に普段ではなかなか話せない経営者としての心構えや覚悟、そして会計人という職業の醍醐味を少しずつでも話しておきたかったのだと思います。リラックスした休暇の旅の中だからこそ、それが可能だったのだと思います。

 仕事と共に父から受け継ぎ、一人でマイペースで楽しめる趣味として、今後もダイビングを続けたいと思っています。

 

池脇会計事務所代表 池脇竜太氏