広島広陵OBのエース対談 有原航平×上原健太
来シーズン、チームの新エース候補として名前が挙がっているのが有原航平投手と上原健太投手。ともにドラフト1位で入団。2人は広島県の広陵高校出身。学年も1つ違いで同じグラウンドで切磋琢磨していた仲だ。当時の思い出話に花を咲かせてもらった。なお、内容は財界さっぽろ2018年1月号掲載当時のもの。
2人には共通点が多い。利き腕に左右の違いがあるが、身長190センチ近い大型ピッチャー。大学は有原選手が早稲田、上原選手が明治へ進学。東京六大学リーグがおこなわれる明治神宮球場で火花を散らした。
2人が在籍した広陵高校は春夏通じて40回以上の甲子園出場を誇り、優勝3回、準優勝6回を数える。OBには連続試合出場の世界記録保持者で、“鉄人”の異名を持つ阪神の金本知憲監督や、かつてファイターズで“代打の切り札”としてプレーした二岡智宏巨人一軍打撃コーチら名選手たちが名を連ねる。横浜高校の17人に次ぐ、15人の卒業生が現役プロ野球選手として活躍している。
練習の厳しさも高校球界随一と知られるが、携帯電話の所持を禁止するなど、いまの高校生にとって耐えがたい環境に身を置いていた。
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恐怖の練習「45秒」「50キロマラソン」
――高校時代の思い出を教えてください。
有原 基本的に練習は全部きつかったよね。
上原 上下関係もすごくはっきりしていました。
有原 だから他の学年の選手と練習中に話すことはあまりなかったですね。
上原 僕から見た有原さんの思い出ならいくつかあるんですけど、ランニングメニューを指示される度に陰で愚痴ってました。
有原 うん。確かに愚痴ってた。
――もう二度とやりたくないという練習メニューはなんですか。
有原 いろいろあるけど50キロマラソンかな。
上原 それは1回だけだったじゃないですか。
有原 そうだね。あれは練習じゃないな。“イベント”だな。
上原 3年間で1度だけやったんですけど、ケガ人が相次いで、その1回で終わりました。
有原 二度とやりたくないとなると「45秒」という練習ですね。
上原 グラウンドに大きな三角形を作って、その周りをひたすら走るんです。
有原 1周を45秒以内で入らないと走った回数にカウントされないんです。毎日どのくらい走ってたかな。
上原 毎回本数が違いましたよね。練習の雰囲気でも変わっていたと思います。
有原 20周以上は走っていたと思います。その練習が1番つらかったですね。
――高校の練習とファイターズの練習を比べるとどちらが大変ですか。
有原 断然高校の方がきつかったです。
上原 それは比べものにならないでしょう(苦笑)
有原 ファイターズは自主性というか自分で考える練習が中心なんです。
――上原選手がファイターズへの入団が決まったとき、有原選手と連絡をとっていたんですか。
上原 ドラフト会議の直前まで連絡していて、「どうなるのか全然わからないですけど」なんて言いながら(笑)そうしたらファイターズから指名されました。どんなチームなのか聞いたら「本当に何も気にしなくて大丈夫。そのままでいい」と言われました。
――ファイターズには杉谷選手をはじめ帝京高校出身の選手が多いですよね。「帝京魂」というフレーズがファンにも認知されていますが、広陵高校バージョンは考えていますか。
上原 全然ないです。
有原 あれはあの人が特別なので(笑)
来シーズンは先発の一角を競い合う
――最後に来シーズンへの抱負を教えてください。
有原 今シーズンは個人としてもチームとしてもいい成績を残せなかったので、本当に悔しさが残ります。今年ダメだった分、来年にかける気持ちが強いので、いい結果を残したいなという気持ちです。
上原 プロ2年目のシーズンでしたが、やるべきことができなかったという印象が強いです。来シーズンは今年以上の成績を残すことはもちろんですが、しっかり先発としてローテーションを任せてもらえるような安定したピッチングをできるように頑張っていきたいなと思います。(構成・佐藤)
(うえはら・けんた)1994年3月29日、沖縄県うるま市生まれ。A型。190センチ、83キロ(球団発表)。左投げ左打ち。広陵高校卒。明治大学卒。2015年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズ入団。長身から投げ下ろすキレのある直球が武器のサウスポー。背番号20。