アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】坪井智哉氏

アメリカでの経験がいまの糧に

東京時代はみんなダサかった

斉藤 現役を引退してから毎年シーズンオフに、札幌でおこなっているトークショーが昨年10周年を迎えました。ラジオには参加したファンから多くのメッセージが届きました!

坪井 それはありがたいです。ファイターズに在籍していたこともあり、このイベントを始めましたのですが、もともと飽き性なので、ここまで続けられるとは思っていませんでした。

斉藤 10回目のイベントではどんな話を?

坪井 誌面には載せられないかな(笑)。せっかくの節目だったので、お祝いとしてお酒を飲んでからトークショーに臨みました。

その結果、ほろ酔いだから、話が止まらない。予定の時間をオーバーして3時間半も語りっぱなしでした。

斉藤 阪神タイガースからファイターズにトレードで加入したのが2003年でした。当時のチームの印象はどうでしたか。

坪井 僕が入団したのは北海道移転の前年でした。ユニホームはまだ縦じまで、本拠地の東京ドームはジャイアンツとの併用でした。

ジャイアンツは第1ロッカーを使っていて、そこは“豪華”。でも、ファイターズは第2ロッカーで、狭いわけですよ。少し寂しかったです(笑)

当時はまだセ・リーグが圧倒的な人気でした。タイガースは注目度が高すぎたからか、注目度の低いファイターズはまだまだ“意識”が薄いという印象を受けました。

斉藤 タイガースは勝っても、負けても応援がスゴイですもんね。プライベートでも大変でした?

坪井 ええ。飲みに行くと、大阪人はズカズカきますからね(笑)。チームが勝っていたり、個人の調子がいいときはまだいいです。負けた試合の日にご飯へ行くと、ファンから「そんなことしている暇があったら、練習せい!」と叱咤激励を受けましたよ。

斉藤 それを考えると、ファイターズ時代は気が楽でした?

坪井 うんうん。その通り。移籍直後に一番驚いたのが、在京球団なのにみんな、ダサかった!ジャージーとかで外出するんですよ。阪神ではちょっとコンビニに行くとしても着替えていましたから。

いまでこそファイターズの選手はみな、オシャレですが、がんちゃん(岩本勉)、(金子)誠、建山(義紀)らも昔はアカンかったね(笑)

ですから、チームメートに「服装がダサい」と言ったこともありました。そうしたら「誰も見ていないから大丈夫!」との返答。「人気がなくて注目されないとチームはこんなふうになるんだな」と、少し残念でもあり、面白かったです。

斉藤 それが北海道移転で大きく変わったんですね。

坪井 そうですよ。注目度が増しましたからね。タイミングよくチームも強くなって、注目度がいっそう高まりました。

注目されると人間は変わります。選手も“男”ですから女性ファンにもキャーキャー言われたいでしょう。ファンの目を意識することは大事なことだと思います。

(構成・竹内)

……この続きは本誌財界さっぽろ2017年2月号(1月14日発売)でお楽しみください。


→Webでの購入はコチラ
→デジタル版の購入はコチラ

(つぼい・ともちか)1974年2月19日、東京都江東区生まれ。左投げ左打ち。B型。 PL学園高校、青山学院大学卒。社会人野球・東芝を経て、97年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。03年にトレードで日本ハムファイターズに加入。その後、オリックス・バファローズに移籍。12年からアメリカの独立リーグで4年間プレー。独特の振り子打法、巧みなバットコントロールでファンを魅了した外野手。14年シーズン限りで現役を引退し、15年から横浜DeNAベイスターズ打撃コーチを務める