【砂川誠のコンサの深層】ハローワークで仕事を…J1昇格の立役者・内村圭宏の“新天地”
ハローワークを通じてIT企業に
砂川 コンサドーレを2018年に契約満了で退団して、19年は当時JFLだったFC今治(現J3)。そこで1年プレーして、現役引退を決めた。
内村 今治での契約満了がわかったのが一昨年の11月末くらい。そのころはもう、地元の九州に戻りたい気持ちが強かったので、その年の末くらいまで、九州でJ3までのクラブだったら、という条件で探してもらっていました。見つかったらラッキーだけど、ないだろうなと。
その後、引退の発表が昨年2月で、同じくらいの時期から就職活動をしていました。3月半ばくらいに札幌市に本社のある「ラテラル・シンキング」という企業に採用され、1年ほど働いています。
砂川 どんな会社なの?
内村 ソフトウェア関連のIT企業です。
砂川 知り合いの紹介?
内村 いえ。サッカー界以外の接点がこれまで全然なかったので、自分で探すしかなくて。履歴書もたくさん送りましたし、今の会社もハローワークを通じての応募です。
砂川 俺もサッカー界以外での知り合いは少ないけど、それはすごいよ。
内村 35歳未経験で、パソコンもそれまでほとんど触ったことがなかった。無茶だとは思いながら探していて。結果的には、コンサで長くプレーして活躍させてもらったことで、興味を持ってもらえたのかな、とも思っています。
砂川 自宅は福岡市にあるんだよね?
内村 はい。福岡に支社があって、九州の企業との仕事をしています。
砂川 今はどんなことをしているの?
内村 学ぶことがたくさんあって、たとえばプログラミングであるとか、技術的なことを初歩の段階から勉強中です。業界のことをひと通り知った上で、いずれは営業活動であるとか、仕事を動かすことができるようになりたいですね。
子どもたちに教えたくてウズウズ
砂川 今治でも結構試合には出ていたと思うけど、現役にはまだ未練ある?
内村 たまに、思い出したように、いいなって思うことはあります。ただ、コンサを契約満了になった時から覚悟はしていました。足首の慢性的なケガがあって、どんどん自分のプレーができなくなっていったということもあります。
砂川 腰も痛めていたね。
内村 今治では腰の痛みが出る以前に、足の問題で動けていなかったんです。
砂川 今治は人工芝だっけ。それも辛かったのでは。
内村 ジョギングするだけで足首が痛くて、別メニューで調整させてもらって試合には出ると。自分のために練習場を用意してくれたのだけど、そこもダメということもありました。迷惑をかけてしまったけど、J3へ昇格できたので、何とか責任は果たせたのかな。
砂川 サッカー、コンサに対する思いは今もある。
内村 子どもたちに教えたい、という思いはすごくあります。今はまだ忙しくて時間が全然取れませんけど、近所のサッカー少年を見かけると、教えたいなってウズウズします(笑)
砂川 コンサの創設25周年記念試合(4月16日)のハーフタイムで、久々に札幌へ来てくれた。
内村 本社での仕事も兼ねての札幌行きで、1週間くらい滞在しました。記念試合で挨拶させてもらったのと、翌日に宮の沢でコンサのファンクラブイベントに竜二さん(河合竜二CRC)と参加しました。
短い時間でしたけど、みんなに会えて、楽しかった。
砂川 久々に元気な顔が見られて、みんなうれしかったんじゃないかな。サポーターにもメッセージを。
内村 今はこれまでとは違うフィールドで、ほかの人があまりしていないようなチャレンジをしています。
何とか形にしたいし、結果を出していきたいという気持ちでいます。
現役を退いて、自分もこれからずっと、コンサのサポーターでいられるようになりました。末永く応援していきますし、ともに応援していきましょう!
砂川 札幌が本社の企業だし、また札幌に来ることもあるよね。コンサとのかかわりも持ち続けていてほしい。OBみんなで、サポーターとの交流とかもしたいな。今日はありがとう、頑張って!