【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】奈良原浩氏
引退後もずっとユニホームを脱がずに
移転前年に実感した知名度不足
斉藤 シーズンオフには毎年、札幌に来られているんですよね。
奈良原 ええ。ファイターズに在籍していたとき、僕の後援会をつくってもらったのがきっかけです。ファイターズを離れて10年たちますが、後援会の方々は、いつも温かく迎えてくれるので感謝しています。
斉藤 プロ野球選手としてのスタートはライオンズでした。その後、トレードでファイターズに移籍しました。チームの印象は?
奈良原 僕が加入したのは東京ドームが本拠地だった時代でしたが、当時からみんな仲がよかったです。
僕は内野手なので、(金子)誠や片岡(篤史)と交流がありました。とくに田中幸雄さんにはかわいがってもらいました。
みんなとはロッカーでも食事に行っても、常に野球の話ばかりしていました。それぐらい野球好きの連中が多かったです。
斉藤 ライオンズ時代はチームメートと野球談議はそれほどされなかったんですか。
奈良原 ライオンズに入団したときは、毎年優勝するようなチームの黄金期でした。仲間とワイワイ野球談議をするというよりは、イメージとしては“大人の集団”。
レギュラー陣がほぼ決まっていて、その選手たちに若手が食事などに連れて行ってもらうことが多かったです。野球の話も先輩からアドバイスをもらう感じでした。僕は当時、今シーズンからライオンズの監督になる辻(発彦)さんにお世話になっていました。
斉藤 ファイターズ在籍中にチームは北海道に移転しました。
奈良原 一番印象に残っているのは移転前年に開催したサイン会&トークショーです。選手たちが道内各地でおこなったんですが、僕はガンちゃん(岩本勉)と一緒に小樽の商業施設に行きました。
2人で「来シーズンから北海道に来ます!よろしくお願いします!!」と呼びかけていたら、通りかかった子どもが母親に「あの人たち誰?」と言っているのが聞こえてくるわけですよ。「ああ~、俺たちは知名度ないんだなぁ」と実感しました。
スーパーなどでもイベントをやらせてもらったのですが、エスカレーターそばの小さな仮設スペースとかで……(笑)。「北海道に根付くのは難しいかな」と思いました。(構成・竹内)
……この続きは本誌財界さっぽろ2017年3月号(2月15日発売)でお楽しみください。