アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】武田久氏

古巣に戻ったことで、自分よりも後輩たちを伸ばしたい

打たれても1回を0に抑えたらOK

斉藤 2018年シーズン、古巣だった日本通運硬式野球部に投手兼コーチとして復帰しました。どんな1年間でしたか?

武田 充実した1年でした。社会人野球はプロと違って、練習が多くて試合があまりありません。大きな大会は都市対抗野球大会と日本選手権の2つです。

僕はほぼコーチという立ち場でしたが、2大会に向けてチームをいい状態にもっていけるか、難しさもありましたが、やりがいがありました。

今回、アマチュアに戻って、野球全体のレベルが上がっているとも感じました。会社のバックアップもあり、いい環境で野球をやらせてもらっています。

斉藤 指導者経験は初めてだったと思います。

武田 選手の引き出しをたくさんつくってあげることが役割かなと感じました。一方、指導は難しいと感じることが多かったです。選手に対してあれもこれも言いたいとなってきます。でも、それは自分の価値観じゃないですか。押しつけることはできません。

ですから、たくさんヒントを与えるように意識しました。ただ、それが答えではありませんから、断言しないようにしています。

斉藤 久さんはファイターズ時代、長らく抑えとして活躍しました。そのだいご味は?

武田 チームに先発はローテーションで5、6人いますが、抑えは1人です。きついですけど、試合を締めたときの安堵感はすごいです。1人しか務められないポジションを任されるプライド、やりがいもあります。僕の場合は抑えて、「よっしゃー!」というよりは「今日も失敗しなくてよかった」という気持ちしかありませんでしたけど(笑)

斉藤 後ろを守るという精神力たるや。大変ですね。

武田 そうですね。ただ、やっているときは必死さだけですよ。

斉藤 ファイターズでは昨シーズン、石川直也投手が抑えに起用されました。

武田 石川には頑張ってほしいです。彼はまだ22歳。僕が抑えになったのは31歳のときだったので、うらやましく感じます。苦労することもたくさんあると思いますが、失敗をして、経験を積んで、抑えをやり続けてほしいです。

年齢が若いと、球の速いピッチャーはどうしても「えいや」と力ずくで投げたくなります。でも、それはダメです。トータルでみると、絶対に打たれます。

だからこそ、考えて投げないといけないんですよ。いつも3者凡退というわけにはいきませんから、打たれても点を取られなければいい。僕は現役時代、そう考えていました。そのほか、体の準備、ゲーム展開など、いろいろなことを意識しながら、投げていました。

試合で臆病になる部分があってもいいと思うんですよ。逃げるところは精いっぱい逃げる。フォアボールもいいと思います。そういうことを引っくるめて、1イニングを0で抑えれば、役割としてはオッケーですから。

斉藤 3アウトのために、ものすごくいろいろなことを考えていたんですね。

ファイターズを離れて1年以上がたちました。最後にファンフェスで、ファンを前に挨拶したことが、私たちの宝物になっています。

武田 いま振り返ると、球団にあのような場をつくってもらって、よかったと思っています。引退ではなかったので、少し違和感はありましたけどね。

(構成・竹内)

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(たけだ・ひさし)1978年10月14日、徳島県徳島市生まれ。B型。右投げ右打ち。駒澤大学卒。社会人チーム・日本通運から02年ドラフト4巡目で日本ハムファイターズに入団。170センチという身長をいかし、低い重心から投げる浮き上がるようなボールが武器。ファイターズ在籍中はチームに欠かせないクローザーとして活躍。06年に最優秀中継ぎ投手、09年、11年、12年に最多セーブ投手を獲得。17年シーズン限りで北海道日本ハムファイターズを退団。18年シーズンからは古巣の日通で選手兼コーチを務める