アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】杉浦稔大選手

一軍マウンドを想像してリハビリを

5人兄弟、高校まで地元帯広に

斉藤 今回の連載は、鎌ケ谷スタジアムに伺って特別版をお届けします!二軍で頑張っている杉浦稔大投手に登場していただきました。杉浦投手といえば、道産子・帯広市出身です。

杉浦 高校まで帯広に住んでいました。

斉藤 高校時代、休みの日はどんなことをして遊んでいましたか?

杉浦 友だちとカラオケに行くぐらいでしたかね。エピソードとしては友だちと自転車で音更まで行ったことがありました。

斉藤 遠いですよね!?

杉浦 いま振り返ると、そうですよね。でも、当時は自転車でどこにでも行くのが普通でした。通学も自転車です。実家は高校から自転車で5分程度。帯広大谷高校を選んだのは、近さもありました(笑)

斉藤 野球を本格的に始めたのはいつからですか?

杉浦 小学校3年のときです。もっと小さいころから野球を始めたかったんですが、地元の少年団には小学3年にならないと入れなかったので。

野球はもともと父も高校球児だったので、その影響でやるようになりました。少年団に入るまでは父親と一緒にキャッチボールなどをしていた記憶があります。

斉藤 ご兄弟は?

杉浦 姉、僕、弟、弟、妹です。

斉藤 5人兄弟ですか!?

杉浦 多いほうですよね。姉とは1歳、一番下の妹とは8歳離れています。

斉藤 男の子3人は、みんな野球を?

杉浦 そうですね。野球とアイスホッケーをやっていました。

斉藤 アイスホッケーもですか。帯広といえば、そうですよね。杉浦投手は昔、二刀流だったんですね!

杉浦 いま風に言うと、そうでした(笑)

斉藤 2013年のドラフトで1位指名を受け、スワローズで、プロ野球人生をスタートさせました。しかしながら、ケガがあり、プロの世界は厳しいものだったと思います。

杉浦 そうですね。結果がすべてですから。しかも、僕の場合、プロに入って、すぐに(右肘を)ケガして、というところからのスタートでした。そこから故障が続き、ずっとここまでケガとの戦いでした。プロになるまで、ケガで長期的に投げられないという経験はしたことがなかったですから。

斉藤 苦しい日々が続く中、どうモチベーションを保っていましたか。

杉浦 ケガをしてしまったことはしょうがないと思っています。ですから、どうやって復活するかということを考えていました。

ケガの経験を無駄にしないように、またリハビリ期間をしっかりと自分の中でプラスにできるように、です。あとは自分が一軍のマウンドで投げているイメージを膨らませながらやっていました。

(構成・竹内)

……この続きは本誌財界さっぽろ2018年7月号(6月15日発売)でお楽しみください。


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(すぎうら・としひろ)1992年2月25日、帯広市生まれ。帯広大谷高校、国学院大学卒。A型。189センチ、86キロ。右投げ右打ち。13年ドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団。17年シーズン途中、トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。プロ入り後、ケガに悩まされる右腕。復活を期して、一軍の先発マウンドを目指す。背番号57