アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】武田勝氏

石川で“日本一ふざけた監督”を

指導者1年目、独立リーグの厳しさ

斉藤 現役引退後、昨年は石川県での生活でした。

武田 指導者でありながら、半分、サラリーマンのような暮らしをしていました。プロ野球界の構図はみな同じですが、独立リーグでは地元でスポンサーを募り、チームの運営をおこなっています。昨年は営業活動も担当しました。

球団社長に名刺の渡し方など、サラリーマンとしての礼儀作法を教わるところからスタートしました。いまではスポンサーめぐりによって、頭を下げるスピードが速くなりました!(下げるしぐさ)

斉藤 あはは。いい角度ですね(笑)。地元のテレビ、ラジオ番組にも出演されました。

武田 ラジオは週1回の番組を持たせていただき、HBCとも提携していたので、北海道のみなさんにも聞いていただけたのかなと思います。

斉藤 テレビ出演の際、服装は相当〝遊んでいた〟そうですね。

武田 序盤は遊んでいたんですが、だんだんやりづらくなっていって……。北海道で築き上げた僕のイメージをすぐに石川でぶつけてしまったんですよ。

それは理解されませんよね。「なんだコイツは!?」となりまして(笑)。それでも今年はバラエティー番組で復活させようかと思っています!

斉藤 コーチ業はいかがでしたか?

武田 指導するのは初めてでしたが、現役を引退する前の2、3年はファームで過ごすことが多く、後輩にアドバイスをしたりもしていました。指導者の立場として、チームがどうあるべきかということも意識するようになっていました。石川では選手たちにとって「接しやすい指導者」という思いでやっています。

斉藤 ミリオンスターズの選手たちとはすぐになじむことができましたか?

武田 最初の1、2週間は、僕を元(日本野球機構=NPB=)選手という目で見てきましたから、少し壁がありました。でも、気がついたら、みんなの〝入浴剤〟のような存在になっていました。

斉藤 (笑)。若い選手と接する上で、一番気をつけていることは?

武田 できるだけ同じ目線で話してあげることでしょうか。あとは、野球以外の話から入るとか。たとえば、趣味についてでもいいと思います。その選手の好きなモノ、性格、考え方を把握してから、最終的に野球の話題にもっていければいいかなと考えています。

斉藤 なるほど。まずは「その人物を知る」ということからですね。時間はかかりそうですね。

武田 でも、僕の性格上、ガンガン踏み込んでいきますから(笑)。自分の過去の話、ときには失敗談などもするようにしています。

野球は一人ではできません。「いろいろな人に感謝して野球ができる喜びを感じられるように」「支えてくれるまわりの人を大切に」と伝えています。常に見られているという意識を高めなさいとも言っています。

斉藤 一方、独立リーグは厳しい環境なんですよね。

武田 ええ。チームの登録メンバーは約25人です。給料の発生しない練習生を含めると30人弱になります。練習生は給料がもらえないので、アルバイトをしながら野球をしています。

たとえ支配下になっても、給料がもらえるのはシーズン期間中のみです。そのため、いまの時期はみんな、アルバイトなどをして、シーズンのためにお金をためています。このバイト生活を通じて、野球だけではないセカンドキャリアの経験などを積んでいます。

斉藤 そんな環境に当初、驚かれましたか?

武田 ええ。いかにNPB野球時代が恵まれていたかということを感じました。正直、僕にはできないことだなと。ですから、その分、選手たちを尊敬します。

斉藤 昨年のドラフトで、寺田光輝投手(ベイスターズ6位)、寺岡寛治投手(イーグルス7位)、沼田拓巳投手(スワローズ8位)がプロになりました。

武田 これまで独立リーグは育成枠で指名されるケースが多かったです。そんな中、石川から3人も育成枠ではなく、支配下指名を受けたということで、リーグ全体の価値も高まっているのかなと感じています。

(構成・竹内)

……この続きは本誌財界さっぽろ2018年3月号(2月15日発売)でお楽しみください。


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(たけだ・まさる)1978年7月10日、愛知県名古屋市西区生まれ。B型。左投げ左打ち。関東第一高校、立正大学卒。社会人チーム・シダックスをへて、05年大学生・社会人ドラフト4巡目で北海道日本ハムファイターズに入団。現役時代は技巧派左腕として、中継ぎ、先発で活躍。12年には左腕として球団史上初の4年連続二桁勝利を記録、翌13年は開幕投手を務めた。ユニークな性格からチームメート、ファンに愛された。16年シーズンで現役を引退。ファイターズの球団職員として在籍したまま、独立リーグの石川ミリオンスターズへ派遣。17年は総合コーチ兼ヴァイスプレジデントとして活動。18年は同チームの監督に就任。侍ジャパン・U-15日本代表のコーチも務める