【速報】荒井聰衆院議員(立憲民主党・北海道3区選出)が引退の意向
道3区選出の立憲民主党衆院議員・荒井聰氏が今期での引退の意向を自身の周辺に伝えた。今月22日に開かれる後援会の会合で、自身の口から明らかにする見込みだ。
荒井氏は1946年、石狩郡当別町生まれ。札幌南高校から東京大学農学部を経て1969年農林水産省入省。その後86年に北海道庁へ出向。一度本省へ戻った後、91年から当時の横路孝弘知事の下で知事室長を務めた。
その後93年に農水省を退官、日本新党から衆院選旧北海道1区に出馬し、初当選を果たした。
その後新党さきがけを経て96年に旧民主党の結党メンバーとして参加。同年、小選挙区制導入後初めての衆院選に道3区から出馬したものの、自民党新人の石崎岳氏に敗れ、2000年の衆院選で返り咲くまで4年の浪人生活を経験した。
00年衆院選では石崎氏に雪辱を果たして再選し、03年衆院選でも石崎氏に勝利し3選。05年のいわゆる郵政解散では抵抗勢力との争いに埋没し石崎氏に2敗目を喫したが、比例復活して4選を果たした。
07年、衆院議員を辞職して道知事選に民主、社民、新党大地の推薦で出馬したが高橋はるみに再選を許した。
09年の民主党による政権交代が成った衆院選では、石崎氏に比例復活も許さない圧勝。選挙後に発足した鳩山由紀夫内閣では内閣総理大臣補佐官に任命された。
10年6月に菅直人内閣が成立すると、経済財政政策・消費者及び食品安全担当大臣として初入閣。だが事務所費の不適切な支出を問われたことから、内閣改造にともなって3カ月あまりで大臣の椅子を追われた。
その後自民・公明の政権奪還が起きた12年衆院選、続く14年衆院選は自民党道議会議員で新人の高木宏寿氏にいずれも完敗したものの、比例復活で辛くも議席を維持。
直近の17年衆院選では、民進党と小池百合子氏率いる希望の党との合併騒ぎの中、立憲民主党結党メンバーとして参加。野党共闘による高木氏との一騎打ちを制し8選を果たしていた。
荒井氏は本誌の取材に対して「まだ何も決まっていない」と否定するが、立民内部では以前から任期満了でおこなわれる選挙の場合、荒井氏が勇退するとの見方が流れていた。
後継には、荒井氏の子息・優(ゆたか)氏や、荒井氏の元秘書で札幌市清田区選出道議会議員・梶谷大志氏などの名前が挙がっている。
優氏は1975年札幌市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、リクルートやソフトバンクグループ社長室での勤務を経て、現在は札幌慈恵学園副理事長を務めている。
今年3月まで同学園が運営する札幌新陽高校校長として学校運営の陣頭指揮を取ったほか、佐賀県の進学校「東明館学園中学校・高等学校」理事長に就任。サツドラホールディングス子会社「シーラクンス」社外取締役、YOSAKOIソーラン祭り理事を務めている。
また梶谷氏は1971年生まれ、北海学園大学経済学研究科修士課程中退。荒井氏の秘書を経て2007年に清田区道議選へ出馬、初当選を果たし4期目。現在、立憲民主党道連幹事長を務めており、先の2区補選では共産党北海道委員会や市民団体との交渉を取りまとめ、野党共闘による松木氏の当選に力を尽くしていた。
6月15日発売の月刊財界さっぽろ7月号では、荒井氏の勇退を決めたきっかけや周辺事情、さらには優氏以外の後継候補などについて詳報する予定だ。