アスリートインタビュー

北海道コンサドーレ札幌

【砂川誠のコンサの深層】グッチー氏

参入決定戦の悔しさが忘れられない

砂川 スタジアムDJを始めたのはいつですか?

グッチー 1996年にコンサドーレができる時、僕が番組を持っていたノースウェーブ経由でスタジアムDJを募集しているという話があり、その時はまだサッカーのことって何も知らなかったんですが、ぜひやりたいと手を挙げました。

砂川 当時、試合は厚別公園競技場がほとんどでしたよね。

グッチー DJブースはメーンスタンドの一番上にあるんですが、室内なのに日差しが一切差し込まない。その上、コンクリートだからとにかく寒い!真夏でもキンキンに冷えてて、外が温かい時でもその空気が入ってこない。夏でも1枚多く着ていないとダメなんです。当時はしかも冬のはじめまで厚別ですから。

砂川 DJは会場の盛り上げ役ですけど、俺はコンサが試合に負けた後の、グッチーさんの何とも言えない、包み込んでくれるようなトーンの声が好きなんです。とくにメーンスタンドのサポーターに挨拶する時。

グッチー (笑)。ありがとうございます!

砂川 負けた時はこうしよう、というような話は決まっているんですか?

グッチー 全然。その日の空気ですよ。

砂川 あの声に「抱かれたい!」って思います(笑)

グッチー ありがたいことに、そう言ってくださるサポーターの方々もいます(笑)。コンサはサポーターのみなさんが盛り上げてくれるので、僕らができることってそんなにない。サポートする立場ですから。でも負けている時にサポーターが厳しい空気になっていると、どうしようかなと思う。浦和レッズ戦とかだと、相手サポーターが大挙して押し寄せますし。

砂川 思い出に残る試合はありますか。

グッチー Jリーグが2部制になる前年、1998年のJ1参入決定戦ですね。12月に、J1に参入できる最後の1枠をかけて、アビスパ福岡と室蘭市入江運動公園陸上競技場で最後の試合をした時です。その年は今でいうJ1でそこそこ勝てていた年だったのに、不利な規定もあって残留のためのポイントが足りず、すんなり残れなかった。それでもサポーターや僕たちはなんとなく大丈夫だろう、って雰囲気があったのに、最終的に負けてしまって。何というか、やり残した感がすごくありました。スタジアムDJとして、何かできたことがあったんじゃないか。いまだに引きずるくらい、よく覚えています。

(構成・清水)

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本名:関口直紀(せきぐち・なおき)1964年帯広市生まれ、釧路市育ち。釧路工業高校卒業後、モデルとして活動し、94年にエフエム・ノースウェーブでDJデビューを果たす。96年、コンサドーレ札幌創設時よりスタジアムDJとして会場の盛り上げ役を務める。10年3月からHBC「今日ドキッ!」(毎週月~金15時44分~19時)のMCとして活躍中。趣味はバイクツーリング、スキー