佐藤信明 北海道信用金庫・理事長「『地域を守る』ための 取組みを全力で進める」
昨年12月2日、北海道信用金庫は創立100周年を迎えた。2018年には札幌信金、北海信金、小樽信金が合併。預金残高は1兆2000億円を超えている。同信金は営業圏に都市部と地方を持つ。経済状況をどう分析しているのか。今年6月に新理事長に就任した佐藤信明氏に話を聞いた。
「生き残る」ではなく「勝ち残る」
――昨年12月、北海道信金は創立100周年を迎えました。佐藤信明さんは今年6月に北海道信金の新理事長に就任されました。室蘭市の出身ですね。
佐藤 はい。1歳か2歳の頃に本州に転居しました。中学3年の3学期に再び室蘭に戻ることになり、地元の高校を受験しました。卒業後、北海道大学の水産学部に進学しました。
――札幌信用金庫をなぜ志望されたのですか。
佐藤 当時は大学4年生の10月1日が就職活動の解禁日でした。その直前の9月中旬に私の母親が亡くなりました。落ち込み、就活どころではない状況の中、偶然にもいとこが当金庫を利用していました。いとこに受験してみたら、と勧められました。こうした縁があり、当金庫から内定をいただけたというのが入庫の理由です。実は当金庫以外、私はどこの企業も受験していません。
金融業界の予備知識もないまま1983年4月に入庫し、1カ月後の5月末に大きな失敗をしました。
――何があったのですか。
佐藤 当時、為替業務を担当していました。振り込みは一件、一件手打ちをする形で、送金していました。本当は7000万円なのに、私のミスで700万円しか送ることができませんでした。6300万円の穴が空いてしまったのです。
すでに振り込みの時間を過ぎてしまい、送金できないので、決済資金の現金を金融機関に持って行かなければなりません。
幸いにも、その決済先が当時の北海道拓殖銀行の本店でした。当金庫本店から歩いてお金を持って行ける距離だったため、袋に入れた6300万円を運んだのを覚えています。数百㍍でしたが緊張しましたね。
関係各位に謝罪し、これで私の金庫生活は終わった、と感じました。本当に勤まるのかと考えながら、社会人生活が始まりました。翌年からは営業畑を歩んできました。
――理事長就任を打診された際の率直な思いを。
佐藤 2021年に常務理事という役職をいただいていました。そのときから、「本当に私でいいのか」と自問自答していました。今回の理事長就任についても同じ思いにかられました。
理事長就任の挨拶で役職員に伝えたことは、「明るくなきゃダメだよね」ということです。
「当金庫の役職員は明るいよね、と言われるようになりましょう」と。
私が支店長を務めていたとき、お取引先の社長からこう言われました。
「お宅の渉外担当の若い職員が来ると、事務所が明るくなるんだよね」と。
私はその言葉がとてもうれしくて。その時の思いが根っこにあるんですね。渉外、営業担当者は明るくて、お取引先に歓迎される存在でなければならないと思います。
もう1つは、これだけ時代の流れが速い中で、われわれはどう勝ち残っていくのか。会長の吉本淳一もよく言っていますが、「生き残るんじゃないんだ。勝ち残るんだ」と。
経営陣の頭で考えられることは限られており、時代に乗り遅れてしまいます。そこで、職員一人ひとりが経営者のつもりで、仕事をしてほしい。そうした中で生まれた発想を、どんどん経営に取り入れていきたいと考えています。お客さまにこういうことをしたいとか、何でも構いません。
それが人材の育成、職員のレベルアップになるとも考えています。最終的には当金庫がお客さま、地域のお役に立てることにもつながっていきます。
10月から、若い職員を集めて座談会を開催します。先月、希望者を集めたら178人から応募がありました。来年までスケジュールが埋まっています。
こうした取り組みが、次の100年につなげられる足がかりになればと思っています。
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