松家治道・北海道医師会会長に聞く“新型コロナ、デジタル化、医療過疎”
新型コロナ感染症によって、医師会の存在がかつてないほど注目されている。実際、“対コロナ戦線”で大きな役割を背負う。北海道医師会の会長に新たに就任した松家治道氏に話を聞いた。
父親の背中を見て医師を目指した
7月末に北海道医師会のトップに就任した松家治道氏は1947年、札幌市生まれ。北海道大学医学部卒。父親の後を継ぎ、札幌市中央区で松家内科小児科医院を営む。札幌市医師会会長などを歴任してきた。
◇ ◇
――医師を志したきっかけは。
松家 父が開業医でしたので幼い頃から、往診に出掛ける父の背中を見て育ちました。世の中にはさまざまな仕事がありますが、医師は治療を通じて感謝される仕事ですし、自然と医師を目指していました。私は勉強が苦手で学者にも向いていないですしね(笑)
――父親以外にも、ご親族に医師はいますか。
松家 2人の叔父も医師ですが、たまたまです。
父はもともと軍人でした。父方の祖父は長男は医師に次男は軍人に、という考えでした。昔ですからね。それで父は復員した後、北大医学部に入り、医師になりました。
――出身高校は。
松家 札幌南高校です。
――では同窓生に医師も多いでしょう。
松家 同期で北大医学部に進んだ人は7、8人いたと思います。北海道医療大学の浅香正博学長は中・高・大の同期生です。北大では私は第1内科に進み、浅香さんは第3内科。浅香さんとはずっと交流が続いています。
――医師会の活動にかかわるきっかけは。
松家 大学時代に医学部のスキー部に入り、クロスカントリーをやっていたのですが、部の先輩から誘われました。
結婚して間もない頃に父が倒れ、私は急きょ家業の医院に入りました。その先輩は医院の近くに開業していて、ある時「松家くん、くすぶっていないで一緒に医師会活動をやろう」と。
――若い頃に医院を継ぐことになったのですね。
松家 当初は臨床医としての経験がまだ浅く、大変でした。周辺の開業医の皆さんにも助けられながら、とにかく頑張るしかなかった。医院で働くようになってからの数年は、白衣か寝間着しか着ていない毎日だった記憶があります。
最初の頃はこんなこともありました。ある日、来院された患者さんが「あれ、お父さん先生は今日はいないの?じゃあ帰ります」と言って扉をバタン、ですよ。
――今回、札幌市医師会会長から北海道医師会会長に就きました。両団体の違いについて教えてください。
松家 分かりやすく言うと、札幌市医師会は現場により近く、現場医療をどうやっていくか、という課題に取り組みます。一方、北海道医師会は札幌市医師会も含む各地の郡市医師会で構成されており、情報共有や連携をしながら道内全体の医療体制をどうするか、といった課題の解決を進めています。
――道医師会の会長選に立候補された経緯は。
松家 正直に申し上げると、ぎりぎりの段階まで立候補は考えていませんでした。ところがある時、前会長の長瀬清さんから「君ならいろいろな人と協調して組織をまとめていける」と言われ、「器ではありません」と固辞したのですが、最終的には……。
道内でも医療情報のネットワーク化
――コロナ禍が続く中の就任です。道医師会ではどのような活動を。
松家 道内病院団体などと一緒に連絡組織を立ち上げ、情報共有をしながら連携して対応を続けています。道庁に組織されている対策本部とも連携しています。
具体的には、ワクチンの大規模接種会場に医師を派遣しています。ホテルを活用した療養施設にも、日本医師会の災害派遣医療チームJMATという仕組みを活用し、医療班を送っています。
――医師会の存在感が一般市民の間でこれほど高まったことは、かつてないと思います。記者会見などで積極的に情報発信もしてきました。
松家 国内の感染拡大の初期の頃、患者の増え方が急激で、感染症指定の病院は厳しい状況になっていました。ですから一刻も早く多くの皆さんに、この病気の性質を知っていただき、拡大を抑えなければ、と情報発信に努めました。
医療体制と患者数の関係は、例えるならコップに水を注ぐのと同じです。水がたまっていく間は何も起きませんが、いっぱいになった瞬間、あふれ出す。あふれた水は治療を受けられない患者さんです。
医療体制の拡充が進むまでの間、なんとかみんなで協力し、多少の我慢もしてもらい、医療崩壊を防ぐ。そのための発信でした。
――現在、コロナ対策として何が重要な課題だと考えますか。
松家 やはりまずワクチン接種です。希望者への接種をスムーズに終えていかなければ。治療面では、抗体カクテル療法の実施体制を整えていくことも課題として挙げられるでしょう。
それから自宅療養者への対応も欠かせない。道内では札幌だと在宅医療の医師がある程度いますが、それ以外の地域ではさほど多くはありません。
在宅医療の仕組みが進んでいる地域の情報を各地の医師会を通じて伝えていき、それぞれのエリアで役立ててほしいと考えています。幸い、今は感染状況が少し落ち着いていますが、いずれ第6波が来た時に対応できるように。
――第6波は来ますか。
松家 疫学的に考えると可能性は小さくない。各国の事例を見ても、ワクチン効果が発揮されて一度は感染が下火になっても、未接種の方がいれば、そこを起点に広がっていきます。変異株の動向も気になるところです。
医療関係者の間では感染拡大が始まった頃から、終息するまでに数年はかかるとの見方が有力でした。今後、初期治療で使える効果的な内服薬ができれば局面はだいぶ変わって来ますが、引き続き感染対策に注力をしていく必要があるでしょう。
ブレークスルー感染については、メディアが大きく取り上げるほど、問題ではありません。全体の感染者数から見ると圧倒的に少ない。ワクチン接種者は感染しても重症化しにくく、接種者の死亡率は極めて低い水準です。
若い人の中にはブレークスルー感染するならワクチン接種をしなくてもいい、といった意見もあるそうですが、もし罹った場合でも、まったく事情が違う事実を知ってほしいです。
――社会の各分野でデジタル化が加速しています。医療分野については。
松家 ICT技術は医療分野においてもメリットがあるテクノロジーですが、セキュリティーの問題を考えなければなりません。とりわけ医療情報は非常に機微なものですから。しっかりしたセキュリティーが大前提です。
――電子カルテを使っている病院は増えていますか。
松家 確実に増えていますが、最大の問題はフォーマットが統一されておらず、各社のシステム間の互換性が乏しい点でしょう。
現在、医療情報のネットワーク化が道内でも進んでおり、室蘭市医師会が運営する「スワンネット北海道」や旭川市医師会が中心の「たいせつ安心i医療ネット」があります。参加病院同士で情報を共有し、医療提供体制の向上に努めているわけですが、そのために別にシステムを導入しなければなりません。
医療過疎の解決の鍵は環境づくり
――治療や手術におけるデジタル化については。
松家 今は主に手術室内で手術支援ロボットが使われていますが、機器の反応スピード、いわゆるタイムラグが課題です。
ただ、かなりタイムラグは小さくなっており、通信回線のレベルもどんどんアップしています。すでに遠隔地から手術支援ロボットを使う試みが国内でも始まっています。近い将来、離れた場所にいる優れた医師がロボットをコントロールし、患者さんを治療することも可能になるでしょう。
――AIを使った診療についてはどう考えますか。
松家 臨床分野でもAIの活用は今後、進むでしょうが、あくまで診断の手助けであったり、治療方法の提案まで。やはり最終的な判断は医師が責任を持って行う。AIに全てを任せてしまうのは難しいと考えています。
――道医師会のHPに掲載されている所信の中で、過疎地の医療体制の維持を課題として挙げています。
松家 北海道は広大な面積を有し、過疎地が多い。医療過疎はとても大きな課題です。先ほど話題に出た、遠隔地からロボットを動かして手術をするのも、一つのアプローチではありますが、できるだけ過疎地にも医師が常駐するのが望ましい。私は若い医師にとって魅力ある環境にしなければ、と考えています。
――魅力ある環境とは。
松家 ドラマ化された「Dr.コトー診療所」のように、離島に派遣された医師が孤軍奮闘を続けるスタイルは過酷です。
各エリアにセンター病院を設置し、そこからサテライトの形で過疎地に若い医師を派遣する。センター病院はサテライトと常にオンラインでつながっていて医局のように機能し、若い医師はすぐにセンター病院の先輩や上司、専門の医師に相談できる。
そうすれば若い医師も不安なく働け、経験を積むこともできるでしょう。医師が1つの病院に集中すると、若い医師が経験できる症例数はどうしても少なくなりがちです。
若い医師が全力で患者さんを治療し、なおかつ経験を積み、技術も高めることができる環境を構築する。その上で行ったきりにするのではなく、一定期間でローテーションする仕組みにすれば、と思っています。
――海外で、そうした取り組みをしている国はありますか。
松家 欧州では病院は主に公立で運営されており、集中化、集約化されています。例えばドイツには、心臓手術を年間数千件行う病院があります。逆に言えば、手術を受けるためにわざわざ、その病院まで足を伸ばさなければならない患者さんがいるわけです。
日本のようにどこでも治療を受けられる状況、患者さんの利便性を維持していくには、先ほど申し上げたような仕組み作りが有効だと思います。
……この続きは本誌財界さっぽろ2021年11月号でお楽しみください。
→Webでの購入はコチラ
→デジタル版の購入はコチラ