道内農業界のドン・有塚利宣が本誌初登場「十勝、北海道の農業が国民の命を支えていく」
北海道の誇る一大食料基地、十勝。5000戸の農家と25万haの農地が日本の食を支え、世界で評価される高品質な農産物を育んでいる。四半世紀にわたり十勝、北海道の農業界を牽引する有塚利宣氏が語る、北海道農業の将来像とは。
日本トップクラスの食料基地ができるまで
――十勝はどのようにして、日本を代表する農産物の生産地域となったのでしょうか。
有塚 北海道の開拓は明治以前の藩によるものと、明治になってからの屯田兵、つまり官による開拓がありました。その中で十勝は14の旧支庁で唯一、民間の開拓から始まりました。
極寒地の北海道における農業は、冷害による凶作、不作など、毎年が自然との戦いといっても過言ではありません。その厳しい環境の中、先住民族であるアイヌとの共存で、自然に対峙し生きていく上での多くの知恵を授かりながら、これまで幾多の困難を乗り越えてきました。十勝ではその開拓者精神が脈々と受け継がれ、自主自立の気概が育まれてきました。
日本の農業にはこれまで大きな変革の時期があり、一つ目は1946年に施行された「自作農創設特別措置法」です。
これは農地を不在地主から解放し、自作農をつくることが目的でした。ただし、一人ひとりの自作農民は力がありませんでしたから、肌を寄せ合って力を発揮するために創設されたのが農業協同組合です。日本農業の民主的発展の出発点となる農地解放と農業協同組合の誕生は非常に大きな出来事でした。これが第一の変革です。
二つ目の変革は、約半世紀前の減反政策の始まりと農業構造改善事業です。戦後の復興による食糧需給の変化に対応するため、全国でコメの減反など、農業経営構造の転換が進められました。
十勝では、寒冷地のため積算気温が不足し「やっかいどう米」とも呼ばれた不安定なコメ作に見切りをつけ、野菜の生産振興、小麦、てん菜、馬鈴薯など寒冷地向けの作物への転換が急速に進められていきました。その結果、69年当時に5240haあった水田はわずか5年で1490haにまで減ったのです。
この二つ目の変革を積極的に受け入れ、構造転換を急いだ結果が今日の十勝農業です。
全国農業協同組合連合会によると昨年、国内の農産物の生産量は約4300万トンありました。このうち、十勝地区だけで456万トン。日本の生産量の1割を占める、日本有数の専業農業地帯となることができました。
――構造転換が成功した理由は。
有塚 十勝では、ピーク時に耕地面積約25万haに対して、約2万1000戸の農家がおりました。現在は約5000戸に減りましたが、これは過疎が原因です。農協の数も3分の1になりましたが、耕地面積はピークのころとまったく変わっていません。つまり、1戸あたりの農場が平均4倍に増えたということです。
一方で、過疎といってもどれだけ生活が不便になったかといえば、十勝はそうではない。道内でももっとも恵まれた場所だと思っています。優れた医療機関があり、帯広畜産大学をはじめとする学校があり、国立、道立の試験場もそろっている。茨城県つくば市に次いで、農業関連の研究機関が多いのです。
十勝は過疎だからといって、何一つ不自由がない。そこが、十勝の農業を発展させてきたのだと私は思います。
海外輸出は農家の所得を守るためだった
――地域団体商標に認定された、十勝を代表するブランド作物「十勝川西長いも」の海外輸出をはじめ、国際競争力を高める取り組みを進めています。
有塚 十勝は火山灰地のため、長いもの栽培に適していたことから、69年の転作を契機に栽培面積を増やしてきました。
当時は季節野菜だった長いもは、市場から通年出荷のための安定供給が求められ、生産量の確保のため、われわれの農協をはじめ近隣9つの農協で栽培をする広域事業になっています。
――有塚さんは組合員に「とにかくどんどんつくれ」という号令をかけてこられました。
有塚 生産量が多ければ多いほど、取引先の希望する規格で出荷できるということで、市場競争力が高まります。
たとえば量販店では少子化や核家族化にともなう家族構成の縮小にともない、商品を使い切りサイズに小さくしていきました。長いもの場合、M・Lサイズより大きく立派な4Lサイズの価格が安くなるといったことが起きていました。
また長いもは需要の〝底〟が非常に浅い野菜で、供給量が一定量を超えると価格が大暴落してしまいます。
そのため、農家が持続的な農業をおこなうために必要な所得を確実に得られるよう、余剰分は国外に出して市場から隔離し、国内価格の暴落を回避しようと考えました。実は海外輸出の目的はそこにあり、今でもそれは変わっていません。
――あくまで農家の所得維持が狙いだった。
有塚 私たちは、優等生的な輸出貿易をおこなってきたわけではありません。自らの生産物の価値を維持しようと始めたこと。最初は台湾への輸出から始め、アジア、そしてアメリカと拡げていきました。
その過程において、海外取引先との信頼をさらに強固なものとするため、食品衛生管理の国際規格「HACCP」や「SQF」などの取得も進めました。
そのような努力によって品質の良さや安全・安心が認められ、今では海外の流通の現場でも、現地のものと差別化されたブランド品として販売されるようになっています。
安全・安心な食文化を求める人というのは、所得の高い層を中心に今後さらに増えていくと考えられます。そうした人たちに向けた市場も形成されていくでしょう。われわれとしても、グローバルな視点で自らの生産物に関する世界の食糧需給変化を把握し、安全安心な農畜産物の安定生産に邁進することが、今後も重要だと考えています。
若き担い手たちが夢とロマンを持って挑戦
――北海道、十勝の農業にはどのような将来性がありますか。
有塚 食料生産に不可欠な水は、世界では貴重な戦略資源になっています。たとえば、日本に輸入される穀物1kgをつくるのに、2トンの水が必要。牛肉1kgをつくるためには10kgの穀物が必要ですから、水に換算すると20トン。これを「仮想水」と呼ぶそうですが、日本で1年に輸入される穀物や肉を仮想水に置き換えると実に900億トンに上るという研究があります。つまり、それだけの水を消費して輸入農畜産物は生産されていることになります。
中国が大量の穀物を輸入する「爆食大国」となって1位の座は譲っているものの、いまだ日本は水の輸入大国と言えます。
その中で今年、新型コロナウイルスが世界的に蔓延し、一部の国が穀物などの輸出規制を設けるという話題が大きくクローズアップされました。食料自給率38%の日本に、まさに大きな環境の変化が迫っていると言ってもいいでしょう。
今後、国内の生産基盤強化を念頭においた「目先の効率性に決して左右されることのない農業政策」への転換を求めていかなければなりません。
どのような状況下でも、国民に食料を安定供給し、不測時にも対応できる生産、供給が強く望まれます。また、そうした中で北海道、とりわけ十勝農業のあり方が大きく期待される時代を迎えたのだと思います。
これに応えていくには、自分の人生をかけた若い担い手たちが、農業は国民の命を支える大事な産業であると認識し、夢とロマンを持って新たな挑戦へと果敢に向かって行けるよう、地域農業をさらに前進させていくことが欠かせません。
私たちは、あらゆる人智を尽くして、さらなる生産性の向上に努めていかなければなりません。この北海道・十勝は、これまで受け継がれてきた先人たちの叡智や開拓者精神があれば、必ず未来を切り開いていくことができるものと確信しています。
……この続きは本誌財界さっぽろ2020年11月号でお楽しみください。
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