社長ブログ

北海道開拓を担った各地からの移住者に学ぶ (35) ―摂津国・河内国・和泉国(大阪府)の北海道開拓

 大阪府は現在人口で東京都・神奈川県に次いで第3位、名目総生産額は東京都・愛知県に次いで第3位、人口密度は東京都に次いで第2位。2025年には万博開催が予定され経済も活況を呈しています。

 開拓史時代(明治2~15年)末期に至ると、東北地方の士族移民(有珠や当別の仙台藩士族移住)の成績が良好となり、移住者の数も増えていきます。1879(明治12)年の高知県人による後志管内仁木町の開発、翌年1880年の広島県人による室蘭郡入植に続き、1881(明治14)年には大阪府民15戸が室蘭郡に入植したと記録されています。

 大阪府からの北海道移住は限られ、1923(大正12)年から1932(昭和7)年までの10年間に北海道への移住総戸数は7452戸ですがが、大阪からは38戸と全体の0.5%です。

 ただ戦中から戦後にかけ、多くの大阪からの移住者が記録されています。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年にあった大空襲では国内の多くの大都市が焼け野原となり、家を失って飢えに苦しむ人々が溢れかえりました。この時、国は食糧不足の都市から人数を減らすとともに食料の増産を企図して北海道への移住開拓者を募りました。それが「拓北農兵隊」です。

 北海道発行の「北海道戦後開拓史」によると、8月末までに東京都を始め、神奈川県、愛知県、大阪府から9次にわたって合計1800世帯、8900人が津軽海峡を渡ったとのことです。都府県別の移住者数は明らかになっていませんが、大阪からも多くの困窮者が国の方針に従い強制的に北海道に移住。当時、道内の農業に適した場所は大正時代までにほとんど開拓し尽され、戦後開拓の頃には山岳部や湿地帯しか残されていなかったのです。温暖な関西方面から移住された方々は困難を極めたものと思われます。NHKの朝ドラ「なつぞら」で、農民画家の神田日勝(東京都板橋区出身:ドラマでは山田天陽)も「拓北農民隊」として移住しており、ドラマを通して移住民の苦難が窺われます。

 さらに戦後、「満蒙開拓団(弥栄開拓団)」引揚者が北海道に移住しています。筆舌に尽くしがたい艱難辛苦で復員後、大阪出身者が中心となり釧路川の西に広がる標茶町西熊牛地区に入植。この部落は、各開拓地に先駆けて酪農経営、農村電化が図られ、経営・生活環境が早くから整備され活気のある地区になります。1954(昭和29)年には三つの小部落(脇盛、小林、川西)に分かれています。

 大阪出身の屯田兵で名前が記録されているのは、南江部乙・北剣淵兵村の各1戸と、南一已兵村の2戸です。