【砂川誠のコンサの深層】石水創氏
同い年のエメルソンはすごかった
砂川 コンサドーレが設立された1996年はまだ中学生でした。これまでのコンサの歴史で記憶に残っていることは。
石水 最初に衝撃を受けたのは2000年、岡田武史さんが監督になって2年目の時。新たに加入してきたFWのエメルソンには、本当に驚かされました。とにかく動きが人間離れしていて、こんなに足が速くてスーパーな選手がいるんだと。しかも同い年(笑)。後から年齢詐称疑惑が出ましたけど。サッカーを見始めたばかりでしたから、余計にすごいと思いましたね。
砂川 石水社長は04年に石屋製菓に入社されました。僕は03年にコンサへ加入しましたけど、当時のことは覚えていますか?
石水 忘れもしないのは、砂川くんがコンサでのデビュー戦で得点を決めた日の夜のこと。僕が会長とあるお寿司屋さんへ行ったら、砂川くんとばったり会ったんです。僕らを見つけた砂川くんが会長のところに駆け寄ってきて、会長とがっちり握手。会長も「よくやった」と声を掛けていた。でも「まだこんなもんじゃないとわかってるから」とハッパもかけていて。それをよく覚えています(笑)
砂川 そのあとすぐ風邪をひいたんですよ。プレッシャーがあったのかな(笑)
石水 でも、それから12年だよね?それだけ長くチームにいたのだから、やっぱり“レジェンド”だよね。
砂川 いやいやいや(笑)
石水 サポーターから愛されているのはもちろん、ほかの選手たちにも慕われていて。象徴的だったのが、10年シーズンの終了後にコンサからの退団を発表した時。あの時、白い恋人パークのイベントで、当時所属していたゴン(中山雅史)さんをゲストに呼んでいて。するとゴンさんが僕に向かって真っ先に言ったのが「砂川くん、何とかならないの?」という話。ゴンさんが「オレなんかより絶対チームに必要だから、何とか残ってほしい」と言っていたのを覚えています。
砂川 それは知りませんでした。純粋にうれしいですね。
石水 スポンサーは、あまりチーム強化について口を挟むことはないんです。それでも砂川くんに関しては、口頭ではチームに残したほうがいいと伝えたのではなかったかな。(構成・清水)
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