北海道開拓を担った各地からの移住者に学ぶ 序 ―都道府県別新型コロナ感染者数が示すもの
財界さっぽろホームページに「社長ブログ」として掲載し始めたのが2007年11月のこと。以降、17年3月まで238回にわたり、私の思うところを書き続けてきました。
第1版は「環境問題と北海道の自然資産『風』『林』『水』『菜』」。これは109回の連載でした。
第2版は「40年史観による世界・日本・北海道の今後」と題して、10年12月から41回の連載。
第3版は「北海道開拓の先覚者達」。これは88回にわたって北海道開拓に尽力した方々を取り上げ、17年10月には当社財界さっぽろより「北海道命名一五〇年『北加伊道』六〇話」と題し、単行本として出版いたしました。
その後は勉強会「北の先覚者を知る会」を66回にわたり毎月開催しており、ブログの執筆にはなかなか取り組めませんでしたが、今回「財界さっぽろオンライン」としてリニューアルをしたこともあり、新シリーズとなる第4版「北海道開拓を担った各地からの移住者に学ぶ」の連載を始めようと思います。どうぞお付き合いください。
北海道の人口は、開拓使が設置された明治2年には6万人に満たなかったのですが、北海道庁が設置された1886(明治19)年に30万人となり、開道50年の1918(大正7)年には、217万人にまで増加しています。
この間、全国のほとんどの都府県から「開拓の夢を抱き」または「北辺の警護のため」「飢饉や災害ですべてを失い」「宗教や思想上の思い」など、かようにさまざまな理由で移住者が本道にやってきました。当初の目的や思いは異なっていても皆、鬱蒼と木々が生い茂る極寒の地で、艱難辛苦を重ねてこの地を開拓してきました。
本シリーズでは、北海道人の祖先である開拓者たちが、どのような思いで墳墓の地を離れ、道内各地で開拓に取り組んだかを、都道府県別に見ていきたいと思います。今後の連載を通じて、開拓者が私たちに遺したもの、さらに私たちが学ばなければならないもの、今後の北海道発展の礎になるであろうヒントを見出していきたいと思っております。
地球温暖化の勢いが止まらない中、本州以南では「大規模洪水など自然災害の多発」や「熱射病など生活そのものを脅かす熱波の影響」による「農作物の収量減退」などが、今後も高い確率で発生すると考えられます。さらに、南海トラフに起因する巨大地震や首都直下型地震が、今後30年の間に70~80%の確率で発生すると予測されています。この点、本道は自然災害に対する耐性が優れていることが、多くの研究で証明されています。北海道は今、第2の開拓期・移住期に入っていると理解すべきなのではないでしょうか。
すなわち、自然災害に見舞われた方々、自然災害の兆候が見られる前に北海道に移住される方々を、受け入れる準備をしておかなければなりません。
首都に集中している行政機能の移転、企業の本社機能の移転が持続性の面から必要になって参りましょう。北海道の大地はこれら多くの方々を迎え、安定した生活を営むに十分なスペースを有しています。「第二次(令和)北海道開拓」を掲げる時であろうと思っております。
新型コロナウイルス(COVID-19)はいまだ猛威を奮っており、収束の目途も立っておりません。毎日、感染者数が発表されておりますが、都道府県別の発生者数に意外な分布があることに気付かされました。
7月初旬現在、未だ一人も感染していないのが岩手県。鳥取県、徳島県なども感染者数が一桁に収まっています。東北地方6県、北陸地方4県、四国地方4県の発生件数が他都府県と比べて著しく低くなっています。一方、明治時代以降、北海道開拓のため移住した方々の出身地は東北、北陸、四国の各地方が多数を占めています。
岩手県の南部藩は、1799(寛政11)年に津軽藩(青森県)とともに蝦夷地勤番を命じられ、また1833年からの天保の飢饉に際しては津軽・秋田とともに多くの藩民が蝦夷地に移住。さらに明治15年以降に4万を超える人たちが移住しています。
鳥取県からは1883(明治16)年以降、105戸513人が釧路に移住し「鳥取村」を開村しています。また、屯田兵には300戸、1500人が参加しました。
徳島県は明治後期に農民を中心として1900人余が北海道に移住し、都府県別では4番目に多い人数です。1882(明治15)年以降の移住民は1万8000人と多く、また屯田兵としての入植も329戸1698人を数えます。
東北・北陸・四国地方は農業県であり、人口密度も高くなく「3密」の発生が低いこともこれらの地方で「新型コレラ」感染度が低い要因なのでしょうがそれだけでしょうか。感染を避ける生活で「地域住民の連系の強さ」「他人に迷惑をかけないという高い倫理性」「不要・不急を避ける我慢強さ」「連綿と受け継げられた飢饉や疫病に対する心構え」などが、この地域の方々に植え付けられているのではないでしょうか。
このような地域の方々が北海道に移住し、開拓にいそしんだのです。これら移住・開拓者の子孫であり、またこれらの方々が開拓された基盤の上で生活している我々道民としては「開拓者」の事績を学び、その先見性を参考にして次世代の北海道を「開拓」していかなければなりませんでしょう。