アスリートインタビュー

北海道コンサドーレ札幌

【砂川誠のコンサの深層】早坂良太選手

社員選手だったホンダFC時代

砂川 最初に所属したチームはどこ?

早坂 JFLのホンダFCで2年。そこからサガン鳥栖です。鳥栖では7年プレーしました。

砂川 ホンダFCはプロ契約ではないよね。

早坂 全員が社員選手でした。それで、鳥栖へ移籍する時に「30歳で選手を辞める」という人生プランを立てました。

砂川 それはなぜ?

早坂 ホンダは大企業なので、辞めるとなった時に周囲の人からは「もったいない」とか「チャレンジしてみたら」とか、意見がいろいろありました。鳥栖で成功できなかったら「ホラみたことか」と言われてしまうかもしれない。だから、自分を追い込む意味で「当時J2だった鳥栖で2年、その後はJ1のチームで2年、最後に海外で2年、30歳で引退」と決めたんです。

砂川 今年で何歳?

早坂 32歳。今はある意味「おまけ」のサッカー人生です(笑)。

砂川 確かに、よく社員を辞めてプロになろうと決断できたよね。

早坂 静岡大学に在籍していた時、鳥栖の練習に参加していてプロ契約の話もあった。ただ、サッカーをしていたおかげでホンダに入るきっかけも得られた。その時は26歳くらいでさっさと辞めて、ホンダの社員として海外駐在したい、なんてことも考えていて。ただ、実際にチームへ加入した1年目にJFLで優勝したんですが、プロではないからJ2には昇格できません。優勝しても翌年はまた同じ日々が続くわけです。そう考えると、悶々としてきてしまいました。

砂川 社員だから、会社の業務もある。

早坂 配属された部署にはバリバリ仕事をしている社員がたくさんいて、会議でもいい大人が熱くケンカしていて。車やバイクに乗るのは好きでしたが、それをつくる側に立って、この人たちのように熱くなれるのかなと考えたら、ちょっと違う。サッカーを辞めてからも30年以上、そうした人たちと同じ熱意で仕事ができるかというと……。結局、いろいろな言い訳をして、自分の気持ちを丸め込んでいたのかなと。

砂川 実際にプロになってみて、どうだった?

早坂 僕が鳥栖に加入した時、鳥栖はまだJ2。そこで活躍して、J1の違うチームにステップアップしようとばかり思っていました。でも鳥栖自体がJ1へ昇格して、実際にJ1でプレーしてみて、やっぱり面白かったんです。サッカーの奥深さを感じられました。

-----ここから“延長戦”本誌未掲載-----

疲れは1日置いてから来る

砂川 鳥栖をJ1へ昇格させたユン・ジョンファン監督(現セレッソ大阪監督)はすごい練習量で有名だったよね。

早坂 ホンダから移籍した1年目は大変でした。今とは段違いです(笑)

砂川 選手としては一緒にプレーしていない?

早坂 はい。

砂川 めちゃくちゃ上手かったんだよね。

早坂 ユンさんの現役を知っている人からしたら「現役のころそんなに走ってないだろ!」って(笑)。ただ、一緒にボール回しに入ってもらっても、確かに違います。

砂川 あれだけテクニックのある選手が、監督になると一転して厳しい練習を課すっていうのは、なかなか面白いよね。

早坂 いろいろ、試行錯誤していましたけどね。本当はバルセロナ(スペイン)のようなサッカーがしたいとも考えていたようです。ただ僕らには「バルセロナのようなサッカーはできないだろう、だから走るしかないよな」とはっきり言っていました。

砂川 移籍して、ヨモさん(四方田修平監督)からは何か言われていることはある?

早坂 とくにこうしてくれ、という指示があるわけではなくて、自分のやりやすい環境でやってくれ、と。ポジショニングやシチュエーションごとの決まりごとがあって、その際に指示がある程度です。

砂川 言わなくてもやってくれる、っていう信頼が最初からあるんじゃない?それにしてももっと若いイメージだった。今年32歳とは思っていなかった。

早坂 若いころも今もそんなに変わっているところはなくて、体のケアとかそのあたりぐらいです。今は“2日後”に疲れが来る。それってありますよね?

砂川 あったあった(笑)

早坂 試合の次の日は、体が軽いんですよ。でもさらに翌日にめちゃくちゃ疲れが来てしまう。

砂川 リカバー(試合に出場した選手がおこなう翌日練習)とか、体が動くので強めにやってしまうと、その次の日が大変なことになるよね。

早坂 筋力トレーニングとか入れてしまうと、もうダメ。その部分は若いころと違うので、意識するようにしています。

砂川 自分のプレースタイルって、自分ではどう思っているの?

早坂 自分の中では、ピッチ上での役割を次第に変えていったつもりです。ベースとしては運動量や戦う姿勢、ということがのはあるんですけど、鳥栖時代は個性の強い選手が多かったので、その“潤滑油”を意識していました。どちらかといえば歳を取るにつれて、そういうのが自分のスタイルになっていったかなと。

砂川 周りの選手を見ながら自分の良さを出していく。

早坂 試合に勝つために、自分が何をできるかというのを考えるようにしていたので。

砂川 俺は、以前だとここにボールを置いて相手を誘ってかわす、というのができた。でも30歳くらいの時にできなくなってきて「あれ?」って思ったことがあって。そういう変化はある?

早坂 ありますね。縦の突破でも昔だったら抜けられたものをそうしなくなったとか。自分の心の問題なのかもしれませんけど、確実にそういう動きは減っている。トラップも、どちらかというと安全なほうに置くようになっているかも。

砂川 でも、そういうところから、いろいろな引き出しが増えていくこともある。周りがもっと見えるようになって、経験値も増えているから。純粋なサイドプレーヤーとは違って、点の取れるサイドという感じがする。キャンプの時は斜めに走る動きも見せていたよね。

早坂 今のところ、その動きはあまり求められていないですね。サイドに張っていることで、選択肢を広げる役割をしてほしいのだと思います。斜めに走る動きはFWの選手がやって、それがダメな時の選択肢としてサイドを残してほしいということでしょうね。自分としては斜めに走ればゴールに結びつく動きができると思っているんですけどね。

砂川 押し込んでいる時ならぜひやってほしい。

早坂 相手も後ろから走ってくるので、対応するのは難しいと思います。

砂川 1、2点、その動きから点を取ってしまえば認められるんじゃないかな(笑)

早坂 僕も何かほかの選手とは違う変化をつけていかないと、自分がやっている意味がないとは思うんで、結果は確かにほしいです。

砂川 押し込んでいる時間帯自体が短いから、そういう動きができる状態になるかという問題はあるけど。自分たちの時間が少ないし。マイボールにしても高い位置ではないから。でもぜひゴールを期待したいね。

(構成・清水)

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1985年9月19日、奈良県奈良市生まれ。183センチ・73キロ。小学校3年生からサッカーを始め、中学からは部活動でサッカーを経験。静岡大学在学中には大学選抜に選出された。08年から日本フットボールリーグ(JFL)のホンダFCで社会人選手としてプレーし、10年にサガン鳥栖(当時J2)へ移籍。11年シーズンには37試合で10ゴールをあげJ1昇格の原動力となった。今季から北海道コンサドーレ札幌へ移籍。背番号26、MF