今振り返る、私の思い出紀行 第三回【ハスコム会長・ハスコムモバイル会長】山下 潔氏
新たな時代を迎えたばかりの北朝鮮の観光振興を目の辺りに
昔から旅が好きで、これまでに訪れた国は50カ国を数えます。中には韓国のように、さまざまな機会をとらえて30回以上も行った国もあります。旅をすると、それぞれの文明がどのように発展し現在に至っているのかを自分の眼で確かめることができるので、学ぶことが多いです。
そうした多くの旅の中で、2000年に訪れた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の印象が強く残っています。この旅はちょっとした伝手から、仙台の医師会が実施した50人ほどの北朝鮮ツアーに入れてもらって実現したものです。何故か名古屋から出発するチャーター便で平壌へ向かいました。
観光の1つとして訪れたのは、平壌から東方約200㌔㍍の江原道にある金剛山(クムガンサン、標高1638㍍)観光です。当時、バスを中心とする陸路観光は目玉で、金剛山は国際観光特別区として外国人観光客にも開放。いわばインバウンド振興の一端であったと思われます。現地のホテルも整備され、新たな時代における地域振興への力の入れ様が感じられました。
現地に着くまでの道のりでは、乗っているバスとすれ違った車が5台しかなかったことや、畑を中心とする農村地帯で多くの軍人たちも汗を流していたことを記憶しています。
道中では、音楽やスポーツ、舞踊・演劇など、いわば日本でいう習い事全般の指導・訓練を専門に行っているような施設も訪れました。北朝鮮では年齢を問わず、優秀で能力のある人材を集めての専門教育が行われているのだと認識しました。
金剛山は古くからの観光地で、温泉、滝、渓谷、湖、仏教寺院などがハイキングや保養の場として有名で、眺望も最高でした。
また、南北を分ける北緯38度線の板門店も訪れました。ここは南北が話し合いの場とする非武装中立地帯として有名です。これまで南側(韓国)から板門店を訪れたことはありましたが、北側からはこの時が初めてでした。境界線上の施設内には南北が向き合って席に着く軍事停戦委員会本会議場がありますが、中立地帯とはいうものの、軍人たちが向かい合い、南側からとはまた違ったピリピリ感がありました。
平壌市内では南のソウルよりも先に開通したという地下鉄にも乗りました。深さは恐らく100㍍近くはあるでしょうか、各駅構内とも非常に広く、万が一に備えた防空壕の役割を果たすためか非常に立派な造りだったのを覚えています。
マスゲームや軍事パレードでも有名な金日成広場も行きました。花崗岩で敷き詰められた地面は壮大で、中でも人民大学習堂の大きさに圧倒されました。
両国を訪れた者の一人として一日も早い南北統一を願わずにはいられません。