社長ブログ

北海道開拓を担った各地からの移住者に学ぶ (17) ―越前藩(福井県)の北海道開拓 後編

「日本人妻を娶った北海道羊牧の父」と称えられているのがエドウィン・ダン。

ダンは欧米の農業を指導するため開拓使御雇教師兼開拓顧問として1873(明治6)年に来日。56年間の長きに渡り、わが国の農業・経済に多大な貢献をした先駆者です。米国から優れた家畜を移入し牧場を開いて日本人に指導。まさに酪農王国北海道を創り上げたパイオニアと言っていいでしょう。

 ダンから直接アメリカ式農場経営を学び、実践したのが越前(福井県)出身の町村金也。町村は越前国府中町(現福井県越前市)にて1859(安政6)年 生を受け、1877(明治10)年札幌農学校に2期生として入学。教頭(プレジデント)はクラークの後任ウイリアム・ホイラーでした。

 同期18人の中には内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾、そして土木の父と言われた廣井勇がいます。1881(明治14)年、町村は卒業するとダンが事業を指導する真駒内牧羊場の管理を任されます(真駒内の「エドウィン・ダン記念館」には町村金也の記録が残っています)。

 その後、1891(明治24)年には雨竜町村農場を経営、1897(明治30)年には十勝開墾合資会社農場長となり、1901(明治34)年に陸軍省で農事専任技師となるまで、一貫して北海道の酪農経営に従事しました。今日発展する近代的北海道農業を普及させた第一人者といっても過言ではありません。

 金弥は五男・五女に恵まれましたが、長男の敬貴(ひろたか)は江別の町村牧場の創設者です。敬貴は父・金弥が札幌農学校を卒業した翌年の1882(明治15)年、現在の札幌市南区真駒内で生まれます。20歳で父と同じ札幌農学校に入って近代農業を学び、米国で農夫として酪農を実習。その後米国ウイスコンシン州立農科大学で農業経営を学び卒業します。

 1916(大正5)年に帰国し、翌年に北海道石狩町樽川で町村牧場を創設します。町村牧場は1928(昭和3)年に北海道江別町対雁(現江別市いずみ野)に移転。現在は江別市篠津に移り、牛乳やソフトクリームなど、町村農場ブランドを生産しています。町村金弥、敬貴親子によって北海道の酪農産業は引き継がれていったと言ってもいいでしょう。

 金弥の五男が北海道知事を3期務め、衆議院議員選挙に4回、参議院議員に2回当選した町村金吾。そして、町村金吾の次男が文部大臣、外務大臣、衆議院議長などを歴任した町村信孝。三代にわたって北海道の産業界を牽引してきた町村家のルーツは越前にあったのです。
 
 福井県から北海道に移住した屯田兵は、名簿によると291戸・約1500人となっています。特に多いのが根室の和田屯田兵村で、1886(明治19)年、東和田に46戸、1890(明治23)年には南和田に79戸が入営しています。

 和田屯田兵村はオホーツク海を臨む根室市にあり、北(ロシア)からの侵攻を防御する目的で、札幌地区に続き早い時期に設営されました。士族屯田時代ですので越前国・若狭国の丸岡藩・福井藩・勝山藩・大野藩・鯖江藩・小浜藩の旧藩士が屯田兵に応募したのでしょう。

 和田地区の土地は痩せ地で農作物の生育には向かず、ましてや農作業の経験に乏しい屯田兵家族を苦しめ、開拓は想像を絶するものでした。懸命な開墾作業にも拘わらず収穫もままならず、屯田兵としての任期が終わると多くの家族は次々とこの地を去っていったそうです。

 次に多いのが北見の野付牛屯田兵村で、1898(明治31)年、上野付牛に12戸、中野付牛に14戸、下野付牛に21戸と47戸が入営しています。

 この地区は常呂川流域で、屯田兵家族を苦しめたのは経験したことのない寒さと常呂川の氾濫でした。命懸けの治水工事に取り組み水田を開拓し、またこの地の特産物である北見ハッカの生育にも成功し、今の豊かな北見地域の発展に繋がっています。

 両地区以外では、1889(明治22)年の篠路屯田兵村(20戸)、1892(明治25)年に茶志内兵村(2戸)、1894(明治27)年に美唄兵村(2戸)、江部乙(29戸)、1895(明治28)年に西秩父兵村(10戸)、南一已兵村(3戸)、1896(明治29)年に東秩父兵村(10戸)、北一已兵村(12戸)、1898(明治31)年に湧別兵村(12戸)、1899(明治32)年士別兵村(1戸)、剣淵兵村(8戸)と、ほぼ全道にわたって入営しています。

 福井県は「何でも日本一」と言われています。「小中学生の学力・体力」が全国一、「社長輩出率」や「女性の社会進出」も1位。さらに、「低い失業率」、「住みやすさ」、「10万人当たりの緊急病院の数」、「刑事犯検挙率」で日本一。一方、全国で最も少ない(低い)のは「年間完全失業率」、「救急車出動回数」、「女性未婚率」、非正規雇用者数」などがあります。
 
 前号と今回で、松前藩の始祖・武田信広、北海道のグランドデザインを描いた本多利明、北前船による越前国と蝦夷地の交易、福井各地からの農業団体北海道移住、三代にわたる町村家の北海道における産業振興、更に屯田兵家族による苦難の中の北海道開拓と、越前国(福井県)出身者の活躍を記載してきました。

 これらの方々の尊い足跡と貴重な資産を受け継ぎながら、我々北海道民も日本一となる分野を切り開いていかなければならないと切に感じています。